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執筆者の写真杉本拓哉牧師
ヨハネによる福音書 1章1-14節
その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。


花材/ツツジ・ガーベラ・薔薇・ダリア・ピラカンサ・ホワイトレースフラワー
花材/ツツジ・ガーベラ・薔薇・ダリア・ピラカンサ・ホワイトレースフラワー

 何気ない一言によって傷付いてしまうことがあります。その逆に、温かな言葉かけ一つで救われることもあります。言葉には力があり、絶望の中から希望を見出す一筋の光ともなるのです。フランクルの「夜と霧」という本においても、強制収容所の中、希望を失った者から命を落としていきました。人を生かしめるのは、希望の光です。暗闇では生きる道を見失ってしまうからです。その光は、私たちを生かす命に繋がっています。

 人の言葉に力があるならば、神の言(ことば)はなおさらのことです。初めに三位一体なる神は、言によって世界を創られました。この言の内に命があり、暗闇を照らすまことの光であると聖書は証言します。この言が肉体をもって地上に降って来られた、それがクリスマスの出来事であり、驚くべき喜びの知らせなのです。私たちの心の中にも暗い所があるでしょう。目を背けたくなるような罪があるかもしれません。しかし、イエス・キリストは希望の光です。命の光です。生きる道を照らす光です。この光を受け入れる時、自分の心の奥底にまで降って来られ誕生された、イエス・キリストとの出会いとなることでしょう。クリスマスおめでとうございます。


音声メッセージ

執筆者の写真杉本拓哉牧師
マラキ書 3章1-3、16-24節
彼は精錬する者、銀を清める者として座し/レビの子らを清め/金や銀のように彼らの汚れを除く。



リース
リース

 一日の終りがあり、一年の終りがあり、人生の終りがあります。終わりというのは決して残念なことではありません。次のステージの始まりでもあるからです。そして、終わりを意識するということは、今をどう生きるのかにも繋がります。だからこそ終わりの日、総決算の日は重要となるのです。神様はその日に一人一人を区別します。

 主から遣わされた使者は、先立って王様である神様が来ることを人々に伝えます。神様に立ち帰り、迎え入れる準備をしなさい、と呼び掛けます。それらを聞いた人々は、従う者と逆らう者、二通りの反応を示しました。神の裁きの前に、自分自身が選び取っているのです。同じ物を与えられても、喜ぶ人と悲しむ人がいます。主の火は、ある人にとっては純度を高める精錬の火となり、ある人にとっては藁のように燃やし尽くされる火となります。主はその区別を見られると言うのです。精錬の火に身を委ねるのは怖いことです。しかし、体の中に染み込んだ罪という不純物を取り除けなくては、私たちは主に正しく献げることはできません。それは人の努力によって適うことでもありません。だからこそ、罪や汚れを取り除けてくださる救い主の到来が希望となるのです。


音声メッセージ

執筆者の写真杉本拓哉牧師
イザヤ書 52章1-10節

いかに美しいことか/山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。


クリスマスツリー
クリスマスツリー

 インターネットや電話網が発達する以前、遠くにいる人との連絡は、伝言や手紙を通して人々の足を頼りにおこなっていました。その中には、人生で重要な知らせとなる合否通知や、命の誕生や臨終における知らせ等もありました。自分の所にまで走ってきて、大切な情報を届けてくれる存在を待ち望んでいたのです。

 イザヤの預言は、戦争に負けて囚われの身になっているイスラエルの民に届けられます。そのような状況から、主が解放を与えてくださること。主が存在を明らかにし、御名を知らしめること。主がエルサレムに凱旋されることを伝えます。主が戦いに勝利し、私たちに恵みを与えてくださる約束です。しかし信頼できない人からの約束ほど無意味なものはないでしょう。人々の現実は奴隷状態で、まだそれを目にしていません。信仰が問われています。それでも主は人々を信頼して、伝言を託されているのです。この良き知らせをまだ受け取っていない人々に、主の平和と救いを語り伝えよ、と。神様の言葉はイザヤに届けられ、イザヤの預言は捕囚の民に届けられ、福音は捕囚の民から全世界に届けられていくのです。あなたに届けられた恵みの知らせを、待ちわびている人が隣におられるかもしれません。


音声メッセージ

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