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ルカによる福音書 2章1-21節
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」


疲れ切った日々に、自分がなぜ生きているのか分からなくなってしまう時が、誰しも訪れるかもしれません。努力しても認められず、声を上げても届かない。そんな経験が重なると、自分という存在の価値までも揺らいでしまいます。

クリスマスの夜、救い主の誕生を最初に知らされたのは、野宿をしていた羊飼いたちでした。彼らは仕事のために律法を十分に守れず、社会から軽んじられていました。さらにローマによる人口調査でも、貧しさゆえに、数にも入れられない存在でした。宗教的にも社会的にも小さくされ、まるで居ない者のように扱われていたのです。

この羊飼いたちに、まず初めに喜びの知らせは届けられます。もしも救い主が、王宮に誕生したと言われたならば、自分たちには無関係だと思ったかもしれません。ところが天使は、救い主が飼い葉おけに寝ていると告げます。動物たちのよだれや匂いが染みついた餌置きは、羊飼いたちの日常の空間でした。だからこそ彼らは、自分事として素直に信じて立ち上がり、出会いに行くことができたのです。そして今度は羊飼いたち自身が、喜びの知らせを隣人告げ知らせる者へと変えられていきます。主にある喜びは満ち溢れ、神への賛美は時と場所を越えて、今もあなたのもとにまで響き渡っています。


音声メッセージ

マルコによる福音書 1章1-8節

荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』



建物も草木もないような荒野では、飢えや渇き、不安や孤独に直面します。私たちは、ふとした瞬間に住まいや持ち物を他人と比べてしまうことがあります。それでもヨハネは自らの意思で、荒野に身を置いて語り続けました。人の力や評価から離れた場所で、神の声に耳を澄ますためでした。周囲を見渡しても何も無い状況だからこそ、目に見えない神と向かい合う時となるのです。私たちの人生でも、心が乾いて孤独の中を生きていると思う時があるかもしれません。それでも主は、他に頼るものが無い荒野で、主にある希望と喜びの知らせを響かせてくださるのです。

失敗や挫折に打ちひしがれても、罪の負い目に苛まれても、主は喜びの知らせを新たに響かせてくださいます。人の目には終わっているかのような所でも、主は諦めることなく、私たちに語りかけ続けてくださるのです。先にも進めず、後にも戻れない、荒野のただ中にいる時にも、主こそが近づいて救いの道に導いてくださいます。エジプトからの脱出も、バビロン捕囚からの解放も、自分たちの力ではなく主の憐みでした。目に見えるものを頼りにするよりも、本物の権威と力ある主を頼る生き方へと招かれています。主は、何度でも立ち帰る道を備えてくださいます。


音声メッセージ


詩編 85編2-14節
主は平和を宣言されます/御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に/彼らが愚かなふるまいに戻らないように。

 

 私たちは「平和」と聞くと、戦争が起きていない状態を思い浮かべます。しかし日常生活の中でも、家族や友人や恋人との小さなすれ違いから、不安や苛立ちが積み重なることがあります。ストレスが多いこの社会では、思いやりの心を失い、自分や他者を傷付けてしまうこともあるでしょう。世界では争いのただ中で、涙を流している人々がいます。そうした現実を前に、私たちは「平和」と言えるのでしょうか。

 問題が複雑に絡まり、どこから解決すればよいか分からなくなることがあります。元の関係に戻りたくても、簡単には戻れない痛みもあります。しかし主は、私たちが行き詰まりの中にあったとしても、平和を宣言してくださるのです。圧倒的な力で相手を抑えつける「ローマの平和」のようにではありません。傷ついた心を癒し、断たれた絆を結び直し、絶望の闇に希望の光を灯す、平和の主の歩みです。

 十字架のイエス・キリストは、私たちの罪を担い、神の裁きを身に受けられました。そこで神の慈しみと真実は出会い、和解が成し遂げられたのです。そのために救い主は誕生されました。神と人との平和をもたらす救い主を、共に礼拝しましょう。主の平和が、あなたの日常の歩みを明るく照らしてくださいますように。


音声メッセージ

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