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神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。
使徒言行録 20章17-38節

ジャーマンアイリス・イチハツ・ゼラニウム・フリージア
ジャーマンアイリス・イチハツ・ゼラニウム・フリージア

 自分の最期の時が分かったならば、大切な人に何を伝えるでしょうか。使命のため命を献げる時が近づいて来たことを、本人は知っています。そこで語られていく言葉は、命輝く遺言とも言えるでしょう。古今東西、時代の変革期には使命に生きる人が現れます。しかし現代の私たちにとって、そのような人は映画や小説の中にだけ見出す程に、リアリティの無いものとなっているのではないでしょうか。

 イエス・キリストは命を懸けて、十字架上で救いの道を拓かれました。パウロはこの命と出会う中で、恵みの福音を宣べ伝えます。宣教師や牧師や信者一人ひとりもまた、主にある命にあずかり、この豊かな命を分かち合うのです。どこか遠くの物語が、自分に向けて書かれた手紙であることを知る時、命の言葉はリアリティをもって迫ってきます。それは人によってなるものではなく、今も生きて働いておられる神の主権の中にあります。だからこそ教会は、神と恵みの言葉であるイエス・キリストと導き手である聖霊なる神に身を委ねます。主が一人ひとりを造り上げ、使命を与え、それぞれの生活のただ中に派遣してくださることを知っているからです。


音声メッセージ

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「騒ぐな。まだ生きている。」
使徒言行録 20 章 1-16 節



花材/ 黄梅・ゼラニウム・シャガ
花材/ 黄梅・ゼラニウム・シャガ

 旅は出会いと別れが重なり合う、特別なひと時です。数日で次の町に向かうこともあれば、年単位で留まることもあるでしょう。胸の内をさらけ出し、大切にしているものを響き合わせれば、得難い出会いとなるかもしれません。そして豊かな出会いの背後には、別離の悲しみが待っています。

 パウロは旅をしながら、主のみ言葉を分かち合います。一週間の滞在となったトロアス教会、その最終日に悲しい事故が起こりました。夜遅くまで続いた集会において、三階の窓辺に座っていた青年が落下してしまったのです。青年の体を抱きながら、聖霊なる神様はパウロを通して、命の言葉を語ります。それはイエス・キリストが罪と死から勝利なされたイースターの喜びに重なります。死から命への転換、主の栄光が彼の上に現されたのです。私たちの目には、心身ともに命を失っているようにしか見えません。それでも主なる神様は諦めず、命を見出されます。身体には安息を、心には励ましを、燃えるような霊の火を、主にある命を分かち合ってくださるのです。命を失っていた人に、命が与えられる。それは本人のみならず共同体の慰めとなります。そして新しい命の交わりの中、再び一週間の旅路へと送り出されていくのです。


音声メッセージ

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イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。
ヨハネによる福音書 20 章 1-18 節



百合の花
百合の花

 大切な人を葬ったお墓が、知らない内に空っぽになっていたらどうなさるでしょう。おそらく心の中は混乱と嘆きと怒りが渦巻きながら、急いで家族や警察に知らせるのではないでしょうか。マリアもまた墓が空になっていることに気付き、弟子たちの所に走っていって知らせました。弟子たちが墓を調べてみると、遺体を包んでいた亜麻布だけが不自然にも残されていました。もしも墓荒らしの仕業ならば、布を解く必要もなければ、証拠を残すこともありません。弟子たちは一通り調べて帰りましたが、マリアは墓で泣き続けていました。

 その場所にイエスは来られますが、マリアはイエスだと気付きません。なぜなら暗闇の墓の中で死んでいるイエスを求めているので、朝日に照らされ生きておられるイエスは意識の外にあるからです。それは私たちの常識でもあるでしょう。イエスは「マリア」と名前を呼びます。呼びかけに応えて 180 度向きを変える中で、復活のイエスとの出会いが与えられました。それは闇から光への道しるべとなり、死から命への方向転換となるのです。そして今度は喜びの知らせを伝えるため、マリアは弟子たちの所へと送り出されていきました。



音声メッセージ

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