ヘブライの信徒への手紙 12章1-13節
すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、 信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。
物事をやり抜く力はどのように身に着けるのでしょうか。ある心理学者は、四要素に分けて説明します。①困難に立ち向かうガッツ、②失敗しても立ち直るしなやかさ、③自ら目標を立てて取り組む主体性、④粘り強く試行錯誤するチャレンジ精神。これらの要素が育まれることにより、課題をやり遂げられる力となると提唱します。
聖書は、私たちが競争を走り抜くために、ゴールであるイエスを見つめ続けるように語ります。また前段階として、躓きとなる重荷や目的地を惑わす罪をかなぐり捨てるように勧めます。私たちの人生は長さも課題も異なりますが、そう簡単ではないことは共通しているでしょう。気力を失い、疲れ果ててしまいそうな時もあります。それでも主は、辛抱強く忍耐するように励ますのです。逆の立場を想像してみましょう。教育を与える相手を諦めてしまえば、適切なプログラムを準備することも、間違いを注意することもしなくなります。それでも主は私たちを諦めずに、先頭に立って走り、訓練を共に担うのです。愛する子どもとして、神の聖さに生きるように、神の義と平和の実を分かち合うようにと願うからです。神の訓練には、あなたに対する溢れるばかりの愛と期待が込められているのです。
音声メッセージ
コリントの信徒の手紙二 5章1-10節
わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。
私たちはライフステージに合わせて住まいを変えていきます。実家で育ち、一人暮らしを始め、マイホームを建て、福祉施設でお世話になる人もいるでしょう。更にその先を、聖書は語ります。地上の住処である幕屋が滅びても、天では神が建物を用意されていると。地上での体は一時的であり、天における命は永遠であると、住居を用いて喩えます。
しかし天に住むことが最終目標であるならば、地上での生活は何の意味を持つのでしょうか。私たちの人生には重荷があり、体力は衰え、誰しも死へ向かっています。そのような苦しみから、早く解き放たれたいと願いますが、パウロは重荷を抱えたまま生きます。絶望から希望へと移されることを、死から命に飲み込まれることを、復活の御業を仰ぎ見ているからです。事実パウロは死ぬほどの大きな罪を自覚しており、同時に神の赦しと救いを体験しました。その時、神の御心を想像したことでしょう。どれほど神を悲しませ、反抗してきたか。これからは神を喜び、神に喜ばれて生きたいという願いを持つようになりました。そして神は、イエス・キリストを聖霊なる神をこの世界に派遣されたように、次はあなたをこの世界に送り出されます。神の国と神の義が全ての人に届けられるように。
音声メッセージ