ローマの信徒への手紙4章1-25節
わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。

旧約聖書の主要人物として、アブラハムとダビデがいます。前者は神が約束された土地に移り住むため旅立った、信仰と契約を象徴する人物。後者はイスラエル二代目の国王で、国家としての基礎を確立し、王と預言者を兼ね備えた人物。そしてどちらもイエスの系図に名を連ねています。
パウロは聖書を引用して、神から義と認められた彼らの共通点を示します。アブラハムは夫婦共に高齢となり、子どもを宿せない状態でした。しかし神の約束の言葉を信じて義と認められ、息子が与えられました。ダビデは部下の妻を権力によって支配し、更にその罪を隠蔽するために部下を戦死させたのです。そのような罪を犯した者は死罪であると、ダビデ自身が認めましたが、神に悔い改め義とされ、罪は覆われ赦されたのです。両者は神から義と認められ、死からの命が与えられました。
神から義と認められるとは、契約が正しく守られている状態であり、関係性が回復し、あるべき姿に戻されることです。イエス・キリストは罪の赦しを与えるために十字架の死に渡され、人々を義とされるため復活の命にあずかりました。神の恵みの言葉は、今日も私たちを死から命の希望へと招いてくださるのです。
音声メッセージ
エレミヤ書1章4-8節
「彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」と主は言われた。

神様はエレミヤに対して共にいることを約束してくださいました。エレミヤが担ったのは、強国バビロンによって崩壊の危機にあるイスラエルに神様の声を届けるというものでした。
ここでエレミヤが預言者となることは、神様が初めから計画されていたことでした。5節を見てみると、神様は母の胎にいる時からエレミヤを知っておられました。エレミヤ書には繰り返し、抜き、壊し、滅ぼし、破壊し、あるいは建て、植えるという言葉が散りばめられています。この言葉はバビロン捕囚とエルサレムへの帰還という民族としての回復の希望を語ると共に、死から命にいたる回復の希望を語っていると思います。罪によって神様との関係が壊れてしまった私たちは、イエス・キリストを通して、再び神様との関係を回復することができるようになりました。キリストの復活された日曜日の朝は荒廃してしまった土地に芽が生えて、将来への希望が見えた瞬間でした。
エレミヤに「わたしがあなたと共にいて(エレミヤ1:8)」と語られた主が私たちとも共にいてくださいます。エレミヤの時代から約束されていた救いをお与えになるために、インマヌエル「神は我々と共におられる(マタイ1:23)」の主として来られたのです。
音声メッセージ
ローマの信徒への手紙3章9-31節
すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。

キリスト教の根幹には、信仰義認(神が罪ある人間を信仰によって義と認める)があります。それと対比されるのは、善行することによって救われるという考えです。しかし残念ながら、善意からの言葉であったとしても相手を傷付けたことや、正しい事をしようとしても他の誰かの気持ちを踏みにじってしまった経験があるのではないでしょうか。
正しく生きようとしても、理想のままに生きることは難しく、隣人とぶつかることは少なくありません。ましてや自分さえ良ければという社会では周囲と衝突し、小さく弱くされた人々が迫害されてしまいます。「自分が正しい」という思いを手放して、自分や他人ではどうしようも出来ない罪の現実を認めることが重要です。神に助けを求める時、命ある関係を取り戻してくださる主の救いを見出すでしょう。神の義は、イエスの十字架によって与えられる本来の姿、神と人との関係性の回復です。関係性を破壊する罪の奴隷になっていた人々を買い戻すために、贖いの代価としてイエスは血を流されたからです。それは神の恵みによって、差別なく全ての人に無料で与えられました。イエスの真実は、私たちが罪人であるにも関わらず、義と認めてくださる命の道なのです。
音声メッセージ