ゼカリヤ書 2章5-17節
娘シオンよ、声をあげて喜べ。わたしは来て/あなたのただ中に住まう、と主は言われる。
アドベント(待降節)とは、クリスマスまでの約4週間、救い主の到来を待ち望む期間を指します。私たちは苦しい時、自分ではどうにもできない時、現状を打破してくれる救い主を待ち望むのではないでしょうか。
預言者ゼカリヤの時代、イスラエルの民はバビロン捕囚から解放され、約20年経過していました。自分の住まいは建て終えても、神殿や町は荒れた状態でした。そのような中、主は幻を見せます。ある人が城壁を立て直すために、その跡を計測している様子でした。主はその計画を止め、ご自身が火の城壁となり、民を守ることを宣言されたのです。以前と同じ石の壁を建てても、人の力で建てた壁は、それを上回る暴力によって破られてしまいます。それでも、主に信頼し守りを任せるということは、自分の命を主に委ねることでもあります。神殿を建てる際、背後は無防備になってしまうからです。主は、私たちが傷つけられる事は、ご自身の目の痛みだと、それほどまでに大切な存在だと語りかけます。それと同時に、主による火の壁は、悪意を持った他者から身を守るだけではありません。物理的な壁という制限なく、多くの国々の人や動物たちが集い、満ち溢れる未来をも伝えられるのです。
音声メッセージ
使徒言行録 20章17-24節
神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。
遺言とも言えるパウロの告別説教。そこでは段階的にキリスト者としての在り方を伝えます。①父なる神に悔い改める、②イエス・キリストを信じて受け入れる、③聖霊なる神の導きに身を委ねる。三つ目のステップに到達した所がゴールではなく、むしろそこから本当のキリスト者としての歩みが始まります。
①悔い改めとは、悪い事をした過去を謝罪することに留まりません。考えや認識を改め、心の向きを神様の方向に回転することを指します。基準がずれてしまっては、的には当たりません。日毎に神様に立ち帰ること、それが悔い改めの本質です。②神様と言っても沢山の神があります。イエス・キリストを通して現わされた神を信じること、それがキリスト教信仰です。このイエスは人として産まれ、地上生活を歩まれました。人が神様を知ることの出来る姿になられたのです。この方を受け入れ、信じ抜くことが求められます。③方向性が定まっても、自分の弱さや頑なさで実行できないジレンマに陥ることがあります。私たちを導き励まし力づける聖霊なる神に、身を委ねる事が重要です。祈り・聖書を読み・礼拝を守るという歩みの中、苦難にあっても主にある勝利と喜びを見出していくことでしょう。
広島キリスト教会協力牧師 高橋秀二郎師
音声メッセージ