使徒言行録 11章19-30節
主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。
民主主義とは、多数派が正解となり、少数派の意見を無視して良いということではありません。ヒトラーは、選挙にて多くの票を受けて選出されましたが、気に入らない少数派を順々に排除していきました。世界大戦後の民主主義は、多数決の原理を守ることと、少数派の権利を守ること、この相反するかのように思える両方を尊重するものになっています。私たちは事柄によって、多数派になったり少数派になったりします。どちらであっても声を出すことができる仕組みと交流が必要です。そして時に、低みから見る視点が真理に近いことがあり得るのです。
初期キリスト教は、イエスを救い主として信じるユダヤ教の一派でした。基本的にユダヤ人がユダヤ人に向けて、旧約聖書とイエスを結び合わせ、救い主だと証言していったのです。そして多くのユダヤ人は、口伝律法の教えを守り、異邦人との交流を制限していました。しかしエルサレムから遠く離れた国や島の出身で、イエスを信じる少数のユダヤ人が、福音を異邦人に語りかけていったのです。主はこの人々を助け、豊かに用いられます。そしてバルナバ、サウロが加えられ、キリストの弟子たちは『クリスチャン』と呼ばれるようになりました。
音声メッセージ
使徒言行録 10章23後半-48節
御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。
出会いというのは不思議な出来事です。学校、職場、趣味、地域、年齢が異なれば接点を見出すことは難しいでしょう。一説によると、人生の中で話が出来るくらいの関係となり得るのは3000人程だと言われています。世界人口の割合から考えると、天文学的に僅かな確率になります。
聖書の中には、主の導きによって奇跡的に出会った二人がいます。ローマの百人隊長コルネリウスは御使いの言葉にすぐさま従い、今まで会ったことも無かったペトロを家に招きます。そして主に期待し、御言葉を待ち望みました。ユダヤ人であるペトロにとっては、異邦人との交流が律法で禁じられていたため、通常ならばお断りする案件です。しかし、主の幻と霊の勧めがあり、招きに応じることにしたのです。
両者の間には、価値観や文化による隔ての壁がありました。それでも主に従って歩む中、思いが新たに変えられて、壁を乗り越えることができたのです。主の導きにより御足の跡を歩む時、今まで思いもしなかった出会いがあります。コルネリウスは、ペトロを通して語られたイエスの証を心から受け入れます。心をご存知の主は、彼に聖霊を注ぎました。こうして異邦人にまでいのちの福音が分かち合われていったのです。
音声メッセージ
使徒言行録 10章1-23前半節
ペトロがなおも幻について考え込んでいると、“霊”がこう言った。「三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。」
行動力があり素早い対応をする事を、フットワークが軽いと表現します。大切な人に出会いに行く時、どれくらいの距離や時間ならば気軽に向かうことができるでしょうか。もしも突然、御使いから60Km離れた所にいる人を招くように示されたならばいかがでしょう。現代なら車で2時間あれば行ける距離ですが、聖書に書かれているのは紀元40年頃のこと。徒歩だとおよそ14時間かかります。どうやらコルネリウスの部下と召使いは、夕方に指示を受けてからすぐに出発したようで約20時間後には目的地に到着しています。
ペトロにとってもチャレンジです。主の幻で勧められていることは、今まで一度もやったことのない、律法に反することだったからです。それでも主は、幻を三度繰り返してペトロに大切なことを伝えます。それは律法を成し遂げられたイエス・キリストにより、今まで律法で汚れていると見なされていた生き物たちをも、天で清いと宣言してくださる可能性です。それは異邦人の救いを示唆しています。ペトロにとって今までの価値観が引っくり返される出来事でした。しかしそこに主の願いがあり、福音の広がりがあり、新しい出会いがあるのです。
音声メッセージ