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使徒言行録 17章16-34節
神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。

 アテネの歴史は古く、芸術・学問・哲学の中心地だった時代があります。パウロが訪れた頃は全盛期を過ぎていましたが、魅力的な彫刻・知見に富んだ文章・哲学者たちも健在でした。エピクロス派の哲学は、精神的な幸福を追い求め、欲望や苦痛や恐れなく過ごすことこそが人生の目的だと考えていました。ストア派の哲学は、自分の快楽や欲求を優先するのではなく、理性が与える正しさに従って、日常生活で徳を積むことを重視しました。どちらの派閥にも共感できる所があるでしょう。

 パウロはアテネの人々にメッセージをします。相手の主張とキリスト教の共通点を示しつつ、架け橋となって神を伝えていきます。しかし経験則や人生観では想像もできない、救い主による贖いの死と復活の命について語った時、聴衆は笑い飛ばしながら去っていきました。「復活」という理性では考えられないことを語らなければ、多くの人々に受け入れられたかもしれません。しかし、これこそキリスト者にとって譲れない点です。復活は、自分を信じるのか、それとも神を信じるのか、私たちに選択を迫ります。それでも主は復活なされ、今も生きておられるからこそ、一人一人と出会い確証を与えてくださるのです。

音声メッセージ

使徒言行録 17章1-15節
ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた。

花材/南天・スプレー菊
花材/南天・スプレー菊

 人には正義感があります。それに反する出来事に直面する時、正面から向き合うこともあれば、避けることも選択肢となります。キリスト教の最初期、信者は迫害に遭い、逃げた先々で福音を宣べ伝えていきました。パウロもイエスに出会う前は、キリスト教徒を迫害しました。自分の聖書理解や信仰からかけ離れた“間違った教え”を放置することはできず、正義感から行動していたのでしょう。

 パウロたちがヨーロッパ伝道をしている時、福音を受け入れる人もいれば、拒絶して迫害する人も出てきました。同じ聖書を読んでいても、正反対の行動があらわれたのです。もしかしたらこの違いは、聖書の読み方、その姿勢にあるのかもしれません。ある町の人々は、素直に熱心に聖書を調べていました。神様の正しさを求め、今の自分に何が語られているのかを、聖書から聞いていったのです。また別の町の人々は、今までの価値観を絶対化してしまったのでしょう。自分の正しさを後押しするものとして、聖書を引用することも可能なのです。つまり、神様を中心に自分が近づいていくのか、自分を中心に神様を合わせようとするのか、僅かなようで大きな違いがあります。今も生きておられる神様にたえず聞いてまいりましょう。


音声メッセージ


ヨハネによる福音書 12 章 20-36 節前半
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。

カランコエ・ハイビスカス
カランコエ・ハイビスカス

 一年の始まり、地震と事故の悲しいニュースが届きました。主の憐みと慰めをお祈りいたします。命が失われてしまうことは、身近な人にとって絶望的な出来事かもしれません。しかし、イエス・キリストは死を越えた希望を語ります。

 イエスは権力者らから目を付けられ、命が脅かされていました。もしかしたら他の地域に逃れることで、十字架にかけられずに済んだのかもしれません。しかし、神様の栄光が現わされる時が来たと言うのです。

 作物でも種を植える時があり、実りを収穫する時があります。イエスの命という種が、地に落ちて墓に葬られるからこそ、新たな命に芽吹く時がやってきます。十字架の死を通らなければ、復活の命は与えられないのです。その時、一粒の種は繋ぎ合わされた多くの命と共に、収穫の恵みにあずかるようになるのです。植物には光が必要です。主の栄光が、太陽の光のように、命を育み成長させてくださいます。だからこそ、光あるうちに光を受け取り、生かされていこうではありませんか。新たな時代がイエスによって始まりました。この福音が私たち一人一人に届けられているのです。


音声メッセージ

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