- 杉本拓哉牧師

- 2024年10月13日
- 読了時間: 2分
ガラテヤの信徒への手紙6章1-10節
兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。

失敗の経験は誰しもあることでしょう。しかし、いつからかレールを外れることへの恐れや、一つのミスさえも許されないような雰囲気が強まってきたように思います。それに伴い、チャレンジ精神は阻害され、社会全体から寛容さが失われてきたのではないでしょうか。依存症からの解放と回復を目指す、ダルクという施設があります。「もうダメだ」と諦めかけた所から、やり直しを共にする仲間がいることは、どれほどの助けとなるでしょう。
パウロは教会のメンバーを家族の一員として呼びかけ、誰かが過ちに陥ってしまった時には、手を差し伸べるように励まします。その人が立ち帰り、関係性を修復するための秘訣は、柔和な心です。ただしサポートする側にも誘惑はあります。やり過ぎてしまえば、相手の自立と成長の機会を奪ってしまうことになるでしょう。そして傲慢さや高ぶりの芽が出れば、関係性をさらに傷つけてしまうことにもなります。共同体として生きるためには、孤立せずに共に助け合うことと、一人で自己吟味をすること、二つの視座が重要になります。自分の力ではなく聖霊の結ぶ実によって、交わりが祝され主の命にあずかれますように。
音声メッセージ
- 杉本拓哉牧師

- 2024年10月6日
- 読了時間: 2分
ヘブライ人への手紙 4 章 1-13 節
神の安息にあずかる約束がまだ続いているのに、取り残されてしまったと思われる者があなたがたのうちから出ないように、気をつけましょう。

自分さえ良ければという考え方の行きつく先には、争いや崩壊が待っています。互いの利己心によって傷つけ合えば、心は閉ざされ繋がりは断たれ、やがて孤立してしまいます。今さえ良ければと、将来に負担を先送りにした国債残高は千兆円を超えました。世代間格差は広がり、社会は分断される方向に進んでいます。悲しみと怒りに震える声は、いずれ表面化することでしょう。希望の未来を迎えるためにも、小さな声に耳を傾け、方向転換いたしましょう。
神は私たちに安息にあずかるように招きます。安息とは、多面性のある言葉です。子が親の懐で安らぐように、信頼できる神との交わりの時です。また、救われた自由の中で、安らぎと喜びを独占することなく、隣人と共に神を見上げることでもあるでしょう。ある人は神と人との間で執り成しの祈りをささげ、和解の恵みにあずかります。そして神は民と共に同行することと安息を与えることを決心されました。私たちが隣人に手を差し伸べる時にこそ、今も生きておられるイエスを見出していきます。主は今日も、私たちを招いておられます。だからこそ、今、神の声を聞いたならば、自分の欲望に支配されるのではなく、隣人と共に生きる道を選び取って行こうではありませんか。
音声メッセージ
マタイによる福音書 12 章 1-8
人の子は安息日の主なのである。

考え方や価値観の異なる者同士が共に生きる時、ルールが必要になります。共存のためには、互いの違いを尊重しつつも、共通の基盤を築くことが求められるからです。しかしルールは、固定されるものではなく、時代や社会の変化に合わせて調整する必要があるでしょう。なぜなら、人々がいきいきと共に生きるためにルールは存在し、ルールのために人がいるのではないからです。
ファリサイ派の人々は、律法の字句を厳格に守ることに一生懸命になるあまり、律法を与えられた神の意図から遠ざかってしまいました。イエスは聖書の物語から律法を再解釈することにより、本来の意味を取り戻されたのです。律法の目的は人を縛りつけ、裁くためではありません。神が憐みをもって自由を与えられた主の民が、神と隣人と共に喜び生きるためでした。神が喜ばれるのは、形だけの犠牲をささげることではなく、愛をもって神と人とに仕えること。形式よりも、心に込めた愛を、神は大切にされるのです。イエスは「安息日の主」であると宣言します。この方が、私たちを神との交わりに招き、心と体の安らぎを与え、苦しみにある人に寄り添い、隣人と共に自由を味わうようにと繋ぎ合わせてくださるのです。
音声メッセージ