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使徒言行録 16章16-40節
パウロは大声で叫んだ。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」

コスモス
コスモス

 「自由」とは辞書によると、①心のままであること、②責任をもって何かをすることに束縛や強制などないこと、とあります。普段の生活でも「~しなければならない」と思い込んだり、誰かに押し付けたりする時、私たちは自由ではないのでしょう。

 パウロたちは、占いの霊に取りつかれた女奴隷に対して、イエスの名によって解き放ち、自由な心を取り戻されました。しかしこの出来事は、占いによって利益を得ていた主人らの怒りを買うこととなり、ムチ打たれ牢屋に入れられてしまいます。真夜中頃、パウロたちが賛美し祈りをささげていると、大地震によって鎖は解かれ扉は開かれました。しかし彼らは、脱獄せずにその場に留まり続けたのです。もしも逃げていたならば看守の命は失われていました。牢屋に囚われていても、パウロたちには自由があったのです。そしてこの自由な選択によって、失われかけていた一つの命が救われ、家族の救いに繋がっていったのです。新しい一年も、主が与えて下さった自由を生きてまいりましょう。


音声メッセージ

ヨハネによる福音書 1章1-14節
その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。


花材/ツツジ・ガーベラ・薔薇・ダリア・ピラカンサ・ホワイトレースフラワー
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 何気ない一言によって傷付いてしまうことがあります。その逆に、温かな言葉かけ一つで救われることもあります。言葉には力があり、絶望の中から希望を見出す一筋の光ともなるのです。フランクルの「夜と霧」という本においても、強制収容所の中、希望を失った者から命を落としていきました。人を生かしめるのは、希望の光です。暗闇では生きる道を見失ってしまうからです。その光は、私たちを生かす命に繋がっています。

 人の言葉に力があるならば、神の言(ことば)はなおさらのことです。初めに三位一体なる神は、言によって世界を創られました。この言の内に命があり、暗闇を照らすまことの光であると聖書は証言します。この言が肉体をもって地上に降って来られた、それがクリスマスの出来事であり、驚くべき喜びの知らせなのです。私たちの心の中にも暗い所があるでしょう。目を背けたくなるような罪があるかもしれません。しかし、イエス・キリストは希望の光です。命の光です。生きる道を照らす光です。この光を受け入れる時、自分の心の奥底にまで降って来られ誕生された、イエス・キリストとの出会いとなることでしょう。クリスマスおめでとうございます。


音声メッセージ

マラキ書 3章1-3、16-24節
彼は精錬する者、銀を清める者として座し/レビの子らを清め/金や銀のように彼らの汚れを除く。



リース
リース

 一日の終りがあり、一年の終りがあり、人生の終りがあります。終わりというのは決して残念なことではありません。次のステージの始まりでもあるからです。そして、終わりを意識するということは、今をどう生きるのかにも繋がります。だからこそ終わりの日、総決算の日は重要となるのです。神様はその日に一人一人を区別します。

 主から遣わされた使者は、先立って王様である神様が来ることを人々に伝えます。神様に立ち帰り、迎え入れる準備をしなさい、と呼び掛けます。それらを聞いた人々は、従う者と逆らう者、二通りの反応を示しました。神の裁きの前に、自分自身が選び取っているのです。同じ物を与えられても、喜ぶ人と悲しむ人がいます。主の火は、ある人にとっては純度を高める精錬の火となり、ある人にとっては藁のように燃やし尽くされる火となります。主はその区別を見られると言うのです。精錬の火に身を委ねるのは怖いことです。しかし、体の中に染み込んだ罪という不純物を取り除けなくては、私たちは主に正しく献げることはできません。それは人の努力によって適うことでもありません。だからこそ、罪や汚れを取り除けてくださる救い主の到来が希望となるのです。


音声メッセージ

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