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主にある自由
更新日:11月20日
使徒言行録 16章16-40節
パウロは大声で叫んだ。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」
「自由」とは辞書によると、①心のままであること、②責任をもって何かをすることに束縛や強制などないこと、とあります。普段の生活でも「~しなければならない」と思い込んだり、誰かに押し付けたりする時、私たちは自由ではないのでしょう。
パウロたちは、占いの霊に取りつかれた女奴隷に対して、イエスの名によって解き放ち、自由な心を取り戻されました。しかしこの出来事は、占いによって利益を得ていた主人らの怒りを買うこととなり、ムチ打たれ牢屋に入れられてしまいます。真夜中頃、パウロたちが賛美し祈りをささげていると、大地震によって鎖は解かれ扉は開かれました。しかし彼らは、脱獄せずにその場に留まり続けたのです。もしも逃げていたならば看守の命は失われていました。牢屋に囚われていても、パウロたちには自由があったのです。そしてこの自由な選択によって、失われかけていた一つの命が救われ、家族の救いに繋がっていったのです。新しい一年も、主が与えて下さった自由を生きてまいりましょう。
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