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イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。
ヨハネによる福音書 19 章 16b-30 節

花材/ラッパ水仙・スターチス・ゼラニウム等
花材/ラッパ水仙・スターチス・ゼラニウム等

 今の時代、人それぞれに痛みを抱えていることでしょう。身体の痛み、心の痛み、精神的な痛み、社会的な痛みがあります。学校や会社や家庭でも、人間関係のすれ違いから傷つけ合ってしまうこともあります。力の矛先が自分に向かう人もいれば、他者に向かう人もいます。そのような中で、なぜ私がこの苦しみを味わうのかと嘆くこともあるでしょう。人生の意味や目的など、真理を求める心が育まれるかもしれません。イエスもまたこれらの痛みを抱えながら、十字架を背負われました。

 教会のシンボルとも言える十字架、それは単なる死刑ではありませんでした。長時間の身体的な痛みに加え、大衆に裸を見られ罵倒される精神的な苦しみ、家族や弟子までも周りから非難される社会的な痛みもあります。十字架の目的は、ローマに歯向かう者はこのような痛い目に遭わせるぞ、という脅しだったからです。イエスは自ら十字架を背負われました。神の国の王として、すべての国民の罪を背負い、贖い出すためです。贖いには、没落して手放された一族の土地や人々を買い戻す意味が含まれます。そして主イエスは十字架上で「成し遂げられた」=「完済した」と宣言してくださったのです。


音声メッセージ

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そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。
ヨハネによる福音書 19 章 1-16a 節


木蓮
木蓮

 「自分たちが生き延びるために、イエスを殺害するしかない」このように意思決定した祭司長たちは、イエスを捕らえます。そして民衆を巻き込んだ群集心理(衝動性・暴力性・自己抑制の喪失)の中、強行的に十字架刑を訴え出ました。総督ピラトは、ローマ法に則ってイエスを取り調べますが、罪を見出すことはできません。そこでユダヤ人指導者たちの顔を立て、鞭打ち刑にしたのです。先端に金属片や動物の骨が括りつけられた鞭により、イエスの肉体は引き裂かれ、血が流れます。さらに兵士たちは、イエスに茨の冠と紫の服を着せて、まるで王様のように装いつつ侮辱しました。それでも狂気に満ちたユダヤ人たちは十字架刑を求め続け、脅しに屈したピラトは最終的にイエスを引き渡したのです。

 イエスは不当な裁判結果にもかかわらず、黙って判決を受け入れます。なぜ反論しないのでしょう。偶然にもそれは過越祭の準備の日、贖いの供え物である小羊が屠られる日でした。洗礼者ヨハネはイエスを見た時に、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(ヨハネ 1:29)と語ります。多くの人々の罪の贖いとして、神の子イエスは十字架へと向かって行ったのです。


音声メッセージ

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国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、と言ったのである。
ヨハネによる福音書 11 章 45-57 節



ストレリチア・モクレン・クリスマスローズ・ヒマラヤ雪の下
ストレリチア・モクレン・クリスマスローズ・ヒマラヤ雪の下

 正義はどこにあるのでしょう。正しい事をしようとしても思いが踏みにじられ、失望してしまうこともあります。やられたからやり返す、これこそ正義であると考える人もいます。ともすると多数派や権力者が幸福を感じる方向に社会が進み、その結果、少数派が虐げられてしまう現実もあります。そのため公平さや道徳性も、正義を問う中で重要な視点となります。一人一人の正義は異なります。だからこそお互いの言葉に耳を傾け、尊重し合いながら選び取っていくのです。

 当時のイスラエルはローマの支配下にありつつも、一定の自治権は認められていました。それが最高法院であり、私たちでいう国会と裁判所の働きの一部を担っていました。臨時の議題は、巷で話題のイエスという男の処遇です。多くの民衆は、イエスの教えと奇跡を目にして、ダビデのような王様の再来を期待しました。しかしローマの支配下にある状況で、新しい王様のウワサは、皇帝の逆鱗に触れかねない話題です。最悪の場合、神殿も国民も国家も失う可能性があります。そこで彼らは自らの正義に従って、イエスの殺害を決意しました。しかし神様の思いは人の思いを越えた計画で、救いをもたらす贖いの十字架だったのです。


音声メッセージ


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