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したくもないのに、してしまう
- 杉本拓哉牧師
- 10 時間前
- 読了時間: 2分
ローマの信徒への手紙7章7-25節
わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

私たちはルールを知っていても、守ることの出来ない愚かさがあるのかもしれません。自転車の並列走行、車の黄色信号や制限速度、人を傷付ける言葉や行動、依存症は多くの場合トラブルの元です。さらには自分を棚に上げて他者の違反を許せない、自己中心的な罪に捕らわれることもあります。
法律が定められるまで、ルール違反はありません。聖書でも、神が禁じた善悪の知識の実を人が食べたので、罪が入ってきました。神の思いが律法として与えられたので、罪は明らかにされたのです。罪は神や他者や自分を傷付け、最終的には死に導きます。バプテスマを受けてキリスト者となっても、神の基準を知っていても、自分の力ではどうにもならない罪に直面する時があります。罪から救い出されて義人とされた後も、私たちは罪を犯してしまう罪人なのです。それならば、神の思いを大切にする努力は無意味なのでしょうか。そうではありません。過去に神を知る前は、自分を基準にして好き勝手に生きていました。そして将来には神に似た者へと変えられます。現在、心に二つの思いを抱いて葛藤を覚えていること自体が、神が今まさに私たちの内で働き、変えてくださっている証拠なのではないでしょうか。
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