ヨハネによる福音書4章6-26節
イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。
視点を変えると、これまでとは違う景色が見えてきます。子どもとかくれんぼをすると、思いがけない場所を巧みに使う姿に驚かされます。タワーからの展望は、はるか遠くまで見渡すことができるでしょう。人生においても、つま先立ちで背伸びする時や、身を屈める時があると思います。そして、疲れ果てて弱さに打ちひしがれる時でなければ、知り得ないこともあります。厳しい状況の時にこそ、うわべは取り除かれて真理が明らかになるからです。
イエスが渇きを覚え疲れて倒れ込む場面は、私たちのイメージする救い主の姿とかけ離れているかもしれません。しかし、そこでなければ出会えない人たちがいます。心の中に暗い気持ちを 抱えている時には、明るい所に近づきにくいものです。その時イエスが助けを求めたのは、差別されていた地域の中で、さらに小さくされていた一人の女性でした。イエスが隠された所にまで身を屈められたからこそ、交わりを拒絶していた人との出会いが与えられました。イエスの渇きは共感を生み、人の心の渇きに触れられて、命の水で潤されます。主は私たちの弱さや欠けや疲れをも、出会いのために用いてくださることでしょう。
出エジプト記 18章12-26節
「小さな事件は彼ら自身で裁かせ、あなたの負担を軽くし、あなたと共に彼らに分担させなさい。」
真面目で熱心な高い理想を持った頑張り屋さんは、心や体を酷使してしまい、燃え尽き症候群(バーンアウト)になりやすいと言われます。周りからの期待を背負い、グループを率いるリーダーとなる時、責任感や使命感によって限界を越えて尽くしてしまうことがあるからです。症状が現れると、急激に意欲や熱意がなくなります。その時には、ゆっくりと休むことが大切です。そしてやり過ぎてしまう前に、客観的にアドバイスしてくれる存在がいるならば大きな助けとなるでしょう。
義父エトロは、モーセが長時間働き続け、民も裁きを待ち続けている様子から、やり方を改めるようにアドバイスします。綺麗事でなく、現実的な課題解決の手段として、役割分担をして働きを分かち合うように勧めます。愛を込めて助言をし、柔らかい心で受ける時、新たなシステムが生まれます。今までリーダーだけに任せていた働きを、互いに担い合うのはチャレンジでしょう。それでも共に重荷を分かち合う中で、偏った働きは均され、皆が共に生きるようになるのです。それはリーダーの命を守るだけでなく、全体の負担軽減となり、共同体の安心に繋がっていきます。
音声メッセージ
ガラテヤの信徒への手紙6章1-10節
兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。
失敗の経験は誰しもあることでしょう。しかし、いつからかレールを外れることへの恐れや、一つのミスさえも許されないような雰囲気が強まってきたように思います。それに伴い、チャレンジ精神は阻害され、社会全体から寛容さが失われてきたのではないでしょうか。依存症からの解放と回復を目指す、ダルクという施設があります。「もうダメだ」と諦めかけた所から、やり直しを共にする仲間がいることは、どれほどの助けとなるでしょう。
パウロは教会のメンバーを家族の一員として呼びかけ、誰かが過ちに陥ってしまった時には、手を差し伸べるように励まします。その人が立ち帰り、関係性を修復するための秘訣は、柔和な心です。ただしサポートする側にも誘惑はあります。やり過ぎてしまえば、相手の自立と成長の機会を奪ってしまうことになるでしょう。そして傲慢さや高ぶりの芽が出れば、関係性をさらに傷つけてしまうことにもなります。共同体として生きるためには、孤立せずに共に助け合うことと、一人で自己吟味をすること、二つの視座が重要になります。自分の力ではなく聖霊の結ぶ実によって、交わりが祝され主の命にあずかれますように。
音声メッセージ