- 杉本拓哉牧師
- 2月9日
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ローマの信徒への手紙2章1-16節
神が、わたしの福音の告げるとおり、人々の隠れた事柄をキリスト・イエスを通して裁かれる日に、明らかになるでしょう。

インターネットの普及により、情報の取得と拡散は格段に早くなりました。お店の口コミ、Xの裏垢、これまで隠されていた事柄や本音も明るみに出てきています。しかし、大量の情報が溢れている現代において、真偽の判断は益々難しくなっていると言えるでしょう。
それでも神様は真実を知っています。裁きの日に、正しい行いには良い報いを、悪しき行いには怒りの報いを与えられます。しかしニュースを見れば、力を持つ側が小さな声を無視し支配し搾取しているように見えることがあります。神様の裁きはいつになれば行われるのでしょうか。神様はまるで執行猶予の期間を与えるようにして、罪人が悔い改めて立ち返ることを待っておられるのです。
定められた日には、人々の隠された事柄までキリスト・イエスを通して裁かれます。ここには二つの意味が込められているでしょう。一つ目は、裁判官としてイエスが私たちを裁くこと。二つ目は、私たちに対する判決が、もう既にイエスを通して成し遂げられていることです。イエスが受けられた十字架の死によって、私たちの罪は既に裁かれたことが明らかになる日がやって来ます。それこそ、キリスト者が告げ広めてきた福音の知らせなのです。
音声メッセージ
ローマの信徒への手紙1章18-32節
不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。

罪という言葉を耳にする時、法律に照らした刑罰をイメージするのではないでしょうか。罰金刑か懲役刑か犯した罪の内容によって罰則が定められ、最も重い刑罰が死刑です。しかし神の定めは、私たちの想定以上かもしれません。
貪欲さ、他者を害しようとする心、陰口、嫉妬、侮りや高慢、親に逆らうこと、神を憎むこと、不誠実、無慈悲など、このようなことを行う者は死に値すると言われます。神の義に照らした時、罪を犯したことの無い人など居ないのです。これを不義といいます。聖書は正しい人は一人もいない、誰しも罪人であることを、私たちに教えます。罪の自覚が、神の赦しを求める第一歩となるからです。しかし私たちの心は、なかなか神に向かいません。自分の正しさに固執したり、神以外の様々なものに信頼を寄せたりします。不信心が根深く存在しているからです。
神は人々の不信心と不義に対して怒りを現します。神から人を引き離そうとする、罪に対して怒るのです。イエス・キリストは私たちの罪を身に受けて、十字架に引き渡されました。しかもそれで終わりではなく、神の義を成し遂げられた救い主は、十字架の死を越えた復活の命へと、私たちを招いてくださっているのです。
音声メッセージ
ローマの信徒への手紙1章8-17節
福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力です。

宗教改革者の一人にマルティン・ルターがいます。彼は熱心に修道生活をおくり、祈りをささげ、聖書を読みましたが、心の平安を得ることはできませんでした。罪を犯さないように努力し、慈善活動を行っても、神の前に正しい人間ではないことを自覚していたのです。神の裁きを恐れ、不安と苦しみの中に生きていました。しかしある時ローマ書を通して、光に照らされたように新しい理解が与えられたのです。神の義は、死から復活されたイエス・キリストに啓示されていることを知りました。罪は既にイエスによって裁かれ、命が与えられているのです。この神の真実が、人々を救いへと導く信仰に至らせます。恵みと憐みに満ちた神は、「正しい者は信仰によって生きる」と聖書に記されているように、信仰によって私を義としてくださった。ルターはこの時を振り返り、新たに生まれ、天国に入れられたようだったと述べています。
貴族が身分にふさわしい義務を負うように、神から恵みを与えられた者は、福音を宣べ伝える責任があります。神はあなたを信頼して、隣人と分かち合うようにと喜びの知らせを託されました。福音の力はダイナマイトのように頑なになった私たちの心の壁を打ち砕いてくださるのです。
音声メッセージ