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「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。」
ヨハネによる福音書 6 章 41-59 節



花材/ストレリチア・スターチス・ドラセナ
花材/ストレリチア・スターチス・ドラセナ

 「いただきます」と、私たちは食事の前に感謝をささげます。生き物の命をいただいて、生きる糧にしているからです。食べる物によって体は作られ、出会いによって心は育まれていきます。私たちは愛を糧にすることもあれば、憎しみを糧にすることもできます。私たちの心と体は、何を摂取して生きているでしょうか。

 キリスト教会が大切にしている儀式に、「主の晩さん」があります。パンをイエスの体として、ぶどうの杯をイエスの血として受け取ります。この出来事の中で、イエスの十字架を想起しているのです。私たちに連帯し、私たちの罪を一身に引き受けられた結果が、十字架の裁きでした。イエスの十字架の出来事を通して、私たちの罪は支払われたのです。主の晩さんに与る時、イエスが私たちを罪から救い出し、贖われたことを覚えます。そしてイエスの体と血をいただく時、私たちの内に生きておられるイエスの命と出会うことでしょう。そして同時に、私たちを引き寄せて包み込む、イエスの愛の内に、いきいきと生きる命の道を見出していきます。私たちの内側も外側も、イエスの愛と命で満たされているのです。日々この命に生かされ、命をいただいてまいりましょう。


音声メッセージ

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手で造ったものなどは神ではない
使徒言行録 19 章 21-40 節


花材/椿・サザンカ
花材/椿・サザンカ

 多くの人々は何かを信じて生きています。神様、自分、家族、専門家、お金、権力、経験、占い等々。日々の生活の中で頼りにしているモノと言い換えられるかもしれません。それでは自分の信仰と、他者の信仰が対立してしまった時には、どうしたら良いのでしょうか。

 パウロ達の伝道により、多くの人々がキリスト者となりました。危機感を覚えたのは、地元の銀細工師で、アルテミス神殿の模型や女神像を造る職人でした。仕事が減ることを恐れ、神殿が蔑ろにされたと怒り、女神の威光が失われることを危惧した結果、パウロ達を襲って暴力により支配しようと試みたのです。問われているのは、どのような神を・どのように信じているのかです。自分の信仰の根底にあるものが、商売繁盛のご利益を求める心ならば、思い通りにいかない時に信仰を失ってしまうでしょう。また、信者の数によって、威光が変動してしまうような神様なのでしょうか。パウロ達は相手の神殿を荒らすことも、女神を冒涜することもありませんでした。銀細工師のような恐れや怒りや危惧を持たず、他者の信仰を攻撃しなかったのです。それは、生きておられる神様が恵みと愛に満ちた方だと知っており、この方の威光は決して失われないと確信していたからでしょう。


音声メッセージ

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【ヘルマン・ホイヴェルス 人生の秋より】
主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。(Iコリント 1:8-9)
あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。(イザヤ 46:3-4)



花材/桜・柊南天・アルストロメリア・水仙・ヒマラヤ雪の下
花材/桜・柊南天・アルストロメリア・水仙・ヒマラヤ雪の下

この世の最上のわざは何?

 楽しい心で年をとり、働きたいけれども休み、しゃべりたいけれども黙り、失望しそうなときに希望し、従順に、平静に、おのれの十字架を担う。

  若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても妬まず、人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、弱って、もはや人のために役立たずとも親切で柔和であること。

 老いの重荷は神の賜物。古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことの故郷へ行くために。おのれをこの世につなぐ鎖を少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事。こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。

  神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ。手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。

  すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声を聞くだろう。

『来よ、わが友、われなんじを見捨てじ』と

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