- 杉本拓哉牧師

- 2025年11月23日
- 読了時間: 2分
コヘレトの言葉 11章1-10節
あなたのパンを水面に投げよ。月日が過ぎれば、それを見いだすからである。

明日何が起こるのか、その全てを知ることは誰にもできません。将来が見えないことは確かに不安ですが、もしも全てを知り得たとしても、それは本当の安心に繋がっているのでしょうか。結末の分かっている試合で、全力を尽くすことは困難です。事故や災害がいつどこで起きるのか分かったとしても、心穏やかには過ごせません。私たちは未来を知らないからこそ、今という時を大切に、精一杯生きることができるのです。
私たちに残された人生の中で、今日が一番若い日です。そして若さとは年齢ではなく、まだ見ぬ世界へ踏み出す力であり、失敗しても立ち上がるしなやかさです。自分で蒔いた種を、いずれ刈り取る時がきます。しかし、そもそも種を蒔かなければ、収穫の恵みにはあずかれません。恐れや不安に立ち止まりそうになる時もあるでしょう。それでも主が共にいてくださるから、安心して全力で種を蒔くことができるのです。そして神様のタイミングで、豊かな実りを見出すことでしょう。主の御手の中で最善を尽くして歩む時、主の確かな導きと平安を覚えます。だからこそ状況に流されず、恐れに囚われず、神様からの贈り物である今日を味わい、喜んで歩んでいこうではありませんか。
音声メッセージ
- 杉本拓哉牧師

- 2025年11月16日
- 読了時間: 2分
コヘレトの言葉 9章1-10節
生きている犬のほうが死んだ獅子より幸せである。

中世のある修道院では、「メメント・モリ カルぺ・ディエム」と挨拶を交わしました。それは、「死を覚え、その日一日の花を摘み、今を生きよ」という意味です。私たちの人生、思いがけず、災害や病気や事故に遭うかもしれません。もしも自分の死が10年後だったら、1年後なら、明日だとすれば、私たちは限られた日々をどのように生きるでしょうか。死を身近に覚える時、私たちは与えられた時をより真剣に、感謝して生きるようになるのです。
コヘレトが生きていた時代、イスラエルの民は大国の支配に苦しみ、公平と正義の見えない社会に空しさを覚えていました。それでも神は、虐げられた者たちを見捨てず、希望の未来を備えておられたのです。彼らは自由と自治を求めた戦いに勝利したのでした。
私たちには明日のことが分かりません。それでも神は、小さくされた者に目を留め、希望を託すのです。人生の幸せは、自分の満足を追い求めて得られるものではありません。自分と共に生きる存在との関わりの中で、生きる意味と幸いを見出すのです。私たちの日々の働きの全ては、主の御手の中にあります。だからこそ、恐れることなく死を見つめ、誠実に精一杯生きるようにと、神は今日も私たちを励ましてくださるのです。
音声メッセージ
- 杉本拓哉牧師

- 2025年11月9日
- 読了時間: 2分
コヘレトの言葉 8章7-17節
しかし、私は知っている/神を畏れる人々には/神を畏れるからこそ幸せがあると。

真面目に働く人が損をして、不正がまかり通るような出来事に心が痛むことがあります。「なぜ正しい人が苦しむのか」、「なぜ神は正義を執行しないのか」と、問わずにはいられない日もあるでしょう。それでも、悪が放置されて良いわけではなく、神が働いていないのでもありません。神の愛は今もあなたが立ち帰るように、忍耐しながら待ち望み祈っているのです。
ナチス・ドイツの政権下、ボンヘッファー牧師は声を上げます。「悪に対する沈黙は悪そのものだ。語らないことは語ることであり、行動しないことは行動することだ。」不正に対して沈黙するなら、弱い立場の人をさらに苦しめてしまいます。誰かがいじめられている時、もし黙って見過ごすならば、いじめに協力していることになるでしょう。語らないことを通して伝わる思いがあり、行動しないことを通して届けられるメッセージがあるのです。力で他者を支配していく社会では、より大きな力を前にして、不安と不信が広がっていきます。しかし、神を畏れる人生は、不安や恐れから解放される歩みです。神の愛が支配する時、恐れを越えて、赦しと平和が心に生まれてきます。不条理の中においても、神の愛はあなたを照らし、希望の光で導いてくださいます。
音声メッセージ