ローマの信徒への手紙1章8-17節
福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力です。

宗教改革者の一人にマルティン・ルターがいます。彼は熱心に修道生活をおくり、祈りをささげ、聖書を読みましたが、心の平安を得ることはできませんでした。罪を犯さないように努力し、慈善活動を行っても、神の前に正しい人間ではないことを自覚していたのです。神の裁きを恐れ、不安と苦しみの中に生きていました。しかしある時ローマ書を通して、光に照らされたように新しい理解が与えられたのです。神の義は、死から復活されたイエス・キリストに啓示されていることを知りました。罪は既にイエスによって裁かれ、命が与えられているのです。この神の真実が、人々を救いへと導く信仰に至らせます。恵みと憐みに満ちた神は、「正しい者は信仰によって生きる」と聖書に記されているように、信仰によって私を義としてくださった。ルターはこの時を振り返り、新たに生まれ、天国に入れられたようだったと述べています。
貴族が身分にふさわしい義務を負うように、神から恵みを与えられた者は、福音を宣べ伝える責任があります。神はあなたを信頼して、隣人と分かち合うようにと喜びの知らせを託されました。福音の力はダイナマイトのように頑なになった私たちの心の壁を打ち砕いてくださるのです。
音声メッセージ
ローマの信徒への手紙1章1-7節
キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから…神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。

メールやラインが身近になり、手紙の機会は減少しましたが、直筆に込められる温かさがあります。二千年前のイスラエルにおいて、手紙は羊皮紙に書かれ手渡しで配達されたので、今よりもっと貴重なものでした。自ずと文字にも想いが込められます。パウロは世界宣教の要所となる、ローマの信徒との交流を求め、信仰を証して、三つの観点から自己紹介の挨拶をします。
①私はキリスト・イエスの奴隷です。衝撃的な表現ですが、私たちも自身を支配している価値観があります。お金や権力、欲求や感情に従うならば、自分の主人としていると言えるでしょう。律法の奴隷であったパウロは、救い主により解放され、主に仕えることを選び取りました。②神の福音のために選び出された。パウロの選択は大切です。それと同時に、神様は目的のために人を選び用いられるのです。世界中の人々にキリスト・イエスの福音を宣べ伝えるため、パウロは選び出されたのでした。③召されて使徒となった。奴隷の身分であるにも関わらず、主は神の国の大使として、ご自身の代理人として、パウロを遣わします。全てのキリスト者もまた、救い主を自らの主人であると告白し、神の福音のために選び出され、恵みを受けて、それぞれの場所へと派遣されていくのです。
音声メッセージ
- 杉本拓哉牧師
- 1月12日
- 読了時間: 2分
マタイによる福音書11章25-30節
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」

年末年始の忙しさを通過して、日常に戻る中で疲労感を抱えている方、進路や新しい挑戦に耐えきれない程の重圧を感じている方もおられるでしょう。身や心を削って、すり減ってしまうような日々を過ごしておられるかもしれません。疲れ果てる程に身体を酷使したり、目標に向かってプレッシャーに耐え忍んだりする私たちがいます。休むことを恐れ、安らぎ方も分からないのかもしれません。そのような人々に、主は優しく語りかけます。「誰でもわたし
の所に来なさい。休ませてあげよう。」
そして共に同じ軛(くびき)を負うように招くのです。軛という道具は、二頭の動物の首を一つに繋ぎ合わせます。その二頭が一つの仕事に向かう時、今まで以上の力を発揮する事が可能になります。主の招きは、私たちが抱え込んでいる重荷を、一緒に力を合わせて運ぼうと呼びかける声なのです。隣から熟練者のサポートを受けることにより、力の配分や動き方や休み方を学ぶことができます。そして他の誰にも分かってもらえないような心の痛みすら、主は共に背負ってくださいます。だから自分一人で苦しまなくて良いのです。そして、学びは真似ることに繋がります。主の懐にある平和と安らぎを、隣人と共に味わいましょう。
音声メッセージ