創世記 18章1-15節、21章1-6節
「主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」
あまりにも大きな喜びの知らせを聞いた時に、「ありえない」と笑ってしまうことはありませんか?もしも買ってもいない宝くじの当選の知らせを聞いたならば、振り込め詐欺の可能性がありますので、警察に届け出た方が良いでしょう。99歳のアブラハムと89歳のサラの夫妻は、神様から「来年、子どもを授かる」と約束されました。夫妻は思わず「ありえない」と笑います。神様は、子どもの名前をイサク(彼は笑う)と名付けるように命じました。
私たちは、常識や価値観や経験から物事を判断し、自分の限界を見きわめます。しかし、世界を創り・人を造られた神様に不可能はありません。「高齢で子どもが与えられるなんてありえない。しかし、神様ならば可能です」と、夫妻は約束を受け取りました。信じられない約束を信じました。自分を信じられなくても、神様を信じて行動しました。そして一年後、約束は成就するのです。サラは告白します。「神様が私に笑いを与えて下さった。」もはや楽しみは無いと、希望を見失っていたサラです。それにも関わらず、神様のみ言葉は私たちを立ち上がらせていく。家族が笑い合う交わりの中、神様も一緒になって喜んでくださっているのです。
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創世記 17章1-10、15-21節
「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。」
『約束』それは信頼関係を生み出します。信じても裏切られてしまうならば、関係が傷つきます。約束が守られないのであれば、相手を信じることは困難でしょう。聖書には、神様と人間との約束が語り紡がれています。しかし聖書の登場人物は、アダムとエバの時代から、何度も何度も神様を裏切ってしまう。それでも神様は、約束を守り続けている。そして神様は今日も、近しい距離感で、『私』と『あなた』という信頼関係を築かれていきます。
神様はアブラハムとサラに、子どもが与えられることを約束しました。しかし、アブラハムは99歳。サラは89歳になっていました。人間は、自分の力や知恵や経験で物事を判断します。アブラハムもまた、今まで叶えられなかった経験と現状から、笑いながら諦めます。しかし神様は『全能の神』だと語り掛ける。人には無理だと思えるような出来事においても、神様の約束は変わりません。信じられなくても、信じていく。自分を信じられなくても、神様を信じていく。その中で、「神様さすがに無理でしょう」と思われる出来事でさえも、「神様やっぱりあなたはさすがです」という、将来を目にしていくことになるのです。
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創世記 15章1-18節
「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」
アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
みなさんはどういう時に救われたと感じますか。例えば、赦されたり、受け入れられたり、悩みが解消された時に、救われたことを実感するのではないでしょうか。ほとんど全ての宗教は、救いについて語ります。その救いが、現在の出来事なのか未来の出来事なのか、個人なのか集団なのか、自分の力なのか他者の力なのか等の違いがあります。聖書にはどちらの見解も散りばめられていますが、神様が救いであることを何度も繰り返し述べられています。それでも私たちはどこかで「もっと自分が頑張れば救われる」、「結果や成果を出すことによって救われる」、「良い行動によって救われる」などと思い込んでしまうものです。
アブラムには、自分の力ではどうにもならない悩みがありました。子どもができず、ずっと祈り求めてきましたが、なかなか与えられません。年齢は80歳前後。約束を疑い、諦めかけていたのです。それでも神様は再び、あなたに子どもが与えられると約束されました。アブラムは神様の言葉を信じて受け取ります。神様もアブラムを義として受け入れました。この約束が叶えられるまで更に20年の月日を要します。それでも神様は確かにアブラムを救われたのです。
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