- 杉本拓哉牧師

- 1月4日
- 読了時間: 2分
フィリピの信徒への手紙 2章1-11節
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。

私たちは誰もが、できることなら争わず、分かり合って生きたいと願っています。それでも多くの場面ですれ違い、分かり合えないもどかしさを抱えているのではないでしょうか。国家間でも、学校でも、家庭でも、私たちの正義はぶつかってしまいます。そして心の奥底で、小さなトゲやしこりが残るのです。ではどうすれば、心を合わせることができるのでしょう。相手を言い負かすのでもなく、自分の思いを飲み込むのでもなく、一致する道はあるのでしょうか。
聖書は、イエス・キリストにある一致を語ります。神の子イエスは、高いところから命令するのではなく、むしろ自ら低くなりました。言葉で世界を創られた方が、愛されなくては生きることのできない赤子として、この世界に来られたのです。神と人とを隔てる罪の問題を解決するため、相手の立場に身を置き、人と共に生きられました。主にある一致は、力づくで誰かをねじ伏せて従わせる事ではなく、へりくだって共に生きる愛にあらわされます。へりくだりとは、自分の思いを押し殺すことではなく、愛ゆえに共に生きる道を選び取ることです。まず、キリストが私たちのもとに降りて来られたことで、一致の道は拓かれました。主の愛は、今も私たち一人ひとりを新しい関係へと招いているのです。
音声メッセージ
ルカによる福音書 2章1-21節
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

疲れ切った日々に、自分がなぜ生きているのか分からなくなってしまう時が、誰しも訪れるかもしれません。努力しても認められず、声を上げても届かない。そんな経験が重なると、自分という存在の価値までも揺らいでしまいます。
クリスマスの夜、救い主の誕生を最初に知らされたのは、野宿をしていた羊飼いたちでした。彼らは仕事のために律法を十分に守れず、社会から軽んじられていました。さらにローマによる人口調査でも、貧しさゆえに、数にも入れられない存在でした。宗教的にも社会的にも小さくされ、まるで居ない者のように扱われていたのです。
この羊飼いたちに、まず初めに喜びの知らせは届けられます。もしも救い主が、王宮に誕生したと言われたならば、自分たちには無関係だと思ったかもしれません。ところが天使は、救い主が飼い葉おけに寝ていると告げます。動物たちのよだれや匂いが染みついた餌置きは、羊飼いたちの日常の空間でした。だからこそ彼らは、自分事として素直に信じて立ち上がり、出会いに行くことができたのです。そして今度は羊飼いたち自身が、喜びの知らせを隣人告げ知らせる者へと変えられていきます。主にある喜びは満ち溢れ、神への賛美は時と場所を越えて、今もあなたのもとにまで響き渡っています。
音声メッセージ
- 杉本拓哉牧師

- 2025年12月21日
- 読了時間: 2分
マルコによる福音書 1章1-8節
荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』

建物も草木もないような荒野では、飢えや渇き、不安や孤独に直面します。私たちは、ふとした瞬間に住まいや持ち物を他人と比べてしまうことがあります。それでもヨハネは自らの意思で、荒野に身を置いて語り続けました。人の力や評価から離れた場所で、神の声に耳を澄ますためでした。周囲を見渡しても何も無い状況だからこそ、目に見えない神と向かい合う時となるのです。私たちの人生でも、心が乾いて孤独の中を生きていると思う時があるかもしれません。それでも主は、他に頼るものが無い荒野で、主にある希望と喜びの知らせを響かせてくださるのです。
失敗や挫折に打ちひしがれても、罪の負い目に苛まれても、主は喜びの知らせを新たに響かせてくださいます。人の目には終わっているかのような所でも、主は諦めることなく、私たちに語りかけ続けてくださるのです。先にも進めず、後にも戻れない、荒野のただ中にいる時にも、主こそが近づいて救いの道に導いてくださいます。エジプトからの脱出も、バビロン捕囚からの解放も、自分たちの力ではなく主の憐みでした。目に見えるものを頼りにするよりも、本物の権威と力ある主を頼る生き方へと招かれています。主は、何度でも立ち帰る道を備えてくださいます。
音声メッセージ