top of page
マタイによる福音書2章1-12節
星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。

 現代社会では、極端な程に無駄を削減することを是としているようです。多くの人は支払ったお金や時間によって、どれだけのものを得られるのか、コスパやタイパを追求します。

 クリスマスの場面では、イエスの誕生をお祝いしに学者たちが遠くからやってきます。東の国で占星術を専門としていた彼らは、無駄足になるかもしれない旅に出かけます。イスラエルまで千km以上、片道でも一カ月以上かかる旅程でした。費用も時間も労力も注ぎ込んで、占星術で知った「ユダヤに生まれた平和の王」を礼拝するために向かいます。争いが絶えない時代にあって、今までとは別の道を与える平和の王に出会いに行きました。

 学者たちは星を通して、救い主の存在を信じていたのでしょう。喜びと希望に満たされた彼らの歩みを助けるように、星の光は足元を照らし、ついに一つの家まで導きます。扉の先には、母の懐で安心したイエスがおられました。目の前にいるのは、誰かの助けなしには生きていけない幼子です。それでも、この方こそ平和の王・私の主人であると信じ、ひれ伏して礼拝し、大切なプレゼントを贈りました。平和の王は、私たちのために、神との和解の道を与えるため、天から地上に出会いに来てくださいました。


音声メッセージ

マタイによる福音書1章18-25節
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。


 二千年前のユダヤ文化において、結婚まで三段階のプロセスがありました。①両家の合意、②当人同士の了承、花嫁料の支払い、婚約の発表、約一年間の備え、③盛大な結婚式を挙げて、夫婦生活が始まります。

 婚約期間中に、マリアは聖霊によって身ごもりました。ヨセフにとっては身に覚えがありません。婚約者が自分以外の理由で、妊娠したというのです。浮気を疑ったり、襲われたのかと心配したり、平静ではいられなかったでしょう。驚き、悲しみ、怒りが湧いてきたに違いありません。

マリアが真実を伝えても、処女降誕を信じられないヨセフは別れを決心します。その夜に天使はヨセフの夢に現れ、彼の恐れや疑いを手放すように勧め、イエス誕生の福音を伝えます。主がヨセフの所に来られなければ、疑いや憎しみを抱え込んだままでした。マリアは困窮し、失意のどん底で命を失っていたかもしれません。彼は自分の正しさが、正しくなかったことを知ったのです。私たちもまた、自分の正義を振りかざすならば、互いに傷つけ合ってしまうでしょう。「主は救い」であるイエスは、悩み苦しむその場所においても、私たちと共に生きてくださいます。神様の正しさは、人の理解を超えて、共に生きる道へと招くのです。


音声メッセージ

ゼカリヤ書9章9-17節
娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。

 大きな喜びに満たされ、思わず踊ってしまうような経験はあるでしょうか。私たちは自制心が働き、喜びの感情を表に出すことに慣れていないかもしれません。しかし幼い子どもや動物は喜びを表現するのが得意です。駆け寄って抱きつき、全身を揺り動かし、まるで踊っているかのようです。

 神は民に向かって、私の娘と呼び掛けます。そして自分の子どもとして一緒に喜んで欲しいと招くのです。なぜなら神であり父である王が、戦いに勝利して帰還したからです。その戦いは武力によるものではありません。信仰と柔和と平和による勝利です。しかし自分たちの感覚から、大きくかけ離れた将来の約束をどうして信じることができるでしょう。戦争に敗れ、捕囚の民となっていた過去があります。ようやくエルサレム神殿の再建工事ができた所です。ぼろぼろになった私たちの現実があります。それにも関わらず、主の目に私たちは高価で尊く、まるで宝石のようだというのです。私たちは問われます。自分の感覚を頼りにするのでしょうか、それとも神様の価値観を信じるのでしょうか。凝り固まった思いを主に明け渡していく時に、解放された喜びと、信頼に足る主にある安らぎを体験していくことになるでしょう。


音声メッセージ

江波キリスト教会 〒730-0834 広島県広島市中区江波二本松1丁目10−26 TEL:(082)231-4561

©2021 by 江波キリスト教会。Wix.com で作成されました。

bottom of page