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執筆者の写真杉本拓哉牧師
使徒言行録2章14-24、32-39節
主の名を呼び求める者は皆、救われる。 21節
ナザレの人イエスこそ、神から使わされた者です。22節

花材/しだれ柳・紫陽花・しゃが
花材/しだれ柳・紫陽花・しゃが

 教会には大切な記念日が3つあります。1つ目はイエス・キリストの誕生日であるクリスマス。2つ目はイエス様が十字架につけられ3日後に復活した日であるイースター。そして3つ目が本日のペンテコステです。創造主なる神様とイエス様により降された、聖霊なる神様をお祝いする日。聖霊の働きにより、イエス様の良い知らせが口コミで世界中へ広がりました。そして人々が集まり教会が誕生しました。

 聖霊は人々を力づけ、心を神様へと向けさせます。ペンテコステの50日前、師であるイエス様が十字架につけられ殺されました。祭司と長老達による妬み・弟子たちの恐れによる裏切り・総督の評判を気にする自己保身・自分には関係ないという見て見ぬふり…人々の罪により、イエス様は死んだのです。私たちには罪があります。自分は立派な人間であると誇ったり、逆にダメな人間だと貶めたり、他人を羨んだり、見下したりすることがないでしょうか。私にはあります。聖霊は、自分を見たり他人を見たり上げたり下げたりする私たちの心を、神様へと向けます。私たちの心を、神様の愛と恵みと希望へと、方向転換させるのです。主は今日もあなたを招いています。

執筆者の写真杉本拓哉牧師
民数記27章12-23節 
わたしは、いつも目の前に主を見ていた。わたしの右におられるので、わたしは決して動揺しない。
だから、わたしの心は楽しみ、体も希望のうちに生きるであろう。               

花材/シンビジューム・梅花うつぎ・柏葉紫陽花 
花材/シンビジューム・梅花うつぎ・柏葉紫陽花 

 自らの死を目前にした時、私たちは何を願い、どのように行動するでしょうか。宗教改革者の一人、マルティン・ルターは「たとえ明日 世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの苗木を植える。」示唆に富んだ言葉を残しています。果実を味わうのは私ではないかもしれないが、今からでも未来への希望を育むことが出来る。いつ終わりが来るか私たちには分からないからこそ、今を精一杯生きる。ということでしょうか。

 モーセは120歳になり、神様から自らの命の終わりを告げられます。神様から託され、イスラエルの民のリーダーとして仕えてきた40年間でした。山あり谷ありの人生の旅路、その終わりに差し掛かっています。彼は自らの命が長らえることを求めません。彼の家族が権威を持つことも求めません。彼は主の共同体のために仕えるリーダーを求め、主に委ねます。彼は自分に似たリーダーを想定しますが、主が立てたリーダーであるヨシュアとはタイプが違います。ただし共通点もあります。モーセの欠点をアロンが補ったように、ヨシュアの足りないところをエルアザルが支えました。そして何よりも神様こそが、イスラエルの群れを導いてくださっているのです。

執筆者の写真杉本拓哉牧師
レビ記1章~4章  

花材/トクサ・ツリガネソウ・ドラセナ・ゼラニューム
花材/トクサ・ツリガネソウ・ドラセナ・ゼラニューム

 『ごめんなさい』と『ありがとう』は人生を豊かにする魔法の言葉です。人はもちろん、神様においても、関係性を改善する大切な言葉です。神様は、エジプトの奴隷になっていたイスラエルの民を救い出します。聖なる方である神様が、イスラエルの民に対して、聖なる民となるように指針を示すのです。『レビ記』はその一つであり、儀式や祭事における様々な約束事が記されています。


 もしも、個人が罪を犯したのであれば、家庭環境に合わせ傷一つない牛や羊や山羊や鳥を燃やし尽くして献げました。もしも、神様との和解を望む時には、いけにえの動物の脂肪や内臓や血を神様に献げ、残った肉は献げ物をした人々と、祭司とが分け合います。そうして、神様と自分と隣人とが一緒に食卓を囲んだのです。もしも、共同体が罪を犯した場合は、その罪に気付いた時にいけにえの動物を焼き尽くして献げました。そのようにして、神様に『ごめんなさい』をしたのです。聖書では、イエス・キリストこそが傷一つない小羊として献げられたと語られています。神様は赦しの道を備え、招いておられます。『ありがとう』の言葉をもって、主の胸に飛び込んでまいりましょう。

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