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エフェソ1:3~14
神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ。全ての知恵と理解を与えて,秘められた計画を私たちに知らせてくださいました。

花材/鳴子百合・姫ミズキ・紫蘭・庭の可愛い蘭・ばら
花材/鳴子百合・姫ミズキ・紫蘭・庭の可愛い蘭・ばら

パウロからエフェソの教会の人々へ、熱い思いを込められて書かれた、エフェソの信徒への手紙。


書き始めである1章に書かれている内容は、「神様って、こんな方」という紹介文でした。三位一体なる神様、イエス・キリストの父なる神様と、子なる神イエス・キリストと、父と子から遣わされた聖霊なる神様。

父なる神様は、①私たちを祝福し、②世界が創られる前から、私たち一人一人を選び、③神様の子ども、養子にしてくれました。イエス・キリストは、④私たちを贖い、⑤私たちの罪を赦し、⑥イエス様にあって一つに集め、⑦約束のものを受け継ぐ者とされました。聖霊なる神様は、⑧私たちに、聖霊で印を押し、⑨将来の約束の保証として、聖霊なる神様を与えてくださいました。


わたしたちは、来週、バプテスマ式を控えています。私たちがイエス様によって買い戻された金額は、イエス様ご自身のいのちであったことを知るのです。私のいのちの価値は、イエス様のいのちと同じほどに高価で尊いいのちであると言われているのです。


私の罪を赦すためには、イエス様のいのちが必要な程であった。十字架がなければ、私の罪も、私に対する愛も気付くこと出来なかった。神様は、それほどまでに、あなたが礼拝者となるように招いています。神さまとの交わりに招いています。なんという恵みでしょうか。

執筆者の写真杉本拓哉牧師
使徒言行録2:1~13
一同は聖霊に満たされ,霊が語らせるままに,他の国々の言葉で話しだした。

花材 /姫ミズキ・ゼラニューム・ぎぼし
花材 /姫ミズキ・ゼラニューム・ぎぼし

 『ペンテコステは教会の誕生日』と、聞いたことはありますか?「聖霊が降ったから、教会の誕生なのだ」と、言えるのですが、私にはピンときませんでした。

 ちなみに、ペンテコステとは、過越祭から50日目に行われる、小麦の収穫祭だったそうです。

 イエス様は弟子たちに「聖霊によるバプテスマを待ちなさい」と命じていました。

しかし、その日がいつ来るのか、弟子たちは知りません。

突然、その日はやってきます。弟子たちは聖霊によって満たされました。人には表現しきれないほどの神様の出来事、奇跡としか言えないような出来事の中で、弟子たちは精一杯の言葉で語らずにはいられなかった。あまりにも大きな音だったため、家の外にまで広がる出来事となった。家の外にいる人々にも届く言葉で、神様の素晴らしい御業が語られたのです。


 人々を集めるのも、弟子たちを用いて礼拝するのも、聖霊なる神様の働きです。

そして『教会』という神様を証する群れが生まれ、言葉を聞いた周りの人々も神様に礼拝をささげるようになった。ペンテコステの出来事が、時を超え、場所を超え、この江波の地まで広がってきたのです。この神様の働きに、諸先輩方は仕えました。江波の地で神様を賛美し、礼拝してきました。そのバトンが今、わたしたちに託されているのです。

執筆者の写真杉本拓哉牧師
ルカ福音書15章25~32節
子よ、お前はいつもわたしと私と一緒にいる。私のものは全部お前のものだ。

花材 /いろんな花束を頂きました
花材 /いろんな花束を頂きました

みなさん、おかえりなさい。今日は放蕩息子のたとえ【兄】に注目したいと思います。

私たちは「自分こそが正しい」という思いをもって行動することがあります。『自粛警察』と呼ばれている方々も、自らの行動を正しいと思いながら行っているのでしょう。


 【兄】は一日の働きを終えて、家に帰ろうとしています。すると、家では弟のためのパーティが開かれていました。しかも、なんと父親は弟に、豪華な服・指輪・靴・さらに良く肥えた子牛までプレゼントしたそうです。【兄】は怒りました。弟に対して正義感で裁きます。そして父に対しても責め立てます。その瞬間【兄】は、自らが『絶対的に正しい存在=神様』となりました。しかし【兄】は弟の苦しみも悲しみ知りません。そして、父の愛の深さを知りませんでした。


 二人の息子、性格も違います。歩んできた人生も違います。片方が救われれば、片方は救われないという、悲しい結末なのでしょうか。福音は自分たちの中からは生まれません、向うからやってくるものです。父は【兄】のために家から出て来て、なだめつつ、慰めつつ、宴会に加わるように頼み込むのです。父は今も、弟のためにも【兄】のためにも、いのちを受け取るようにと、愛して招き続けているのです。

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