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イザヤ書10章20-27節
その日が来れば/あなたの肩から重荷は取り去られ/首に置かれた軛は砕かれる。

花材/小菊・クスノキ
花材/小菊・クスノキ

 待ち時間というと退屈な印象を受けますが、楽しみにしている出来事ならワクワクしながら心待ちにすることでしょう。発売日やアトラクション、試験結果や病院での診察など、待ち時間は数分から数日に及ぶこともあります。歴史を遡れば、奴隷解放は数百年にわたり待ち望まれた事柄でした。期日が定まっていれば良いのですが、いつまで続くかわからない出来事を待つのは困難です。次第に気持ちが萎えて、諦めそうになるからです。

 虐げられていたイスラエルの民も、解放してくれる救い主を期待していました。主の約束は与えられますが、苦難の道を通らねばなりません。物事がうまくいくときには、神なしでも問題ないと判断して自分勝手な道を歩んでしまいがちです。また、困難なときには神を後回しにしてしまうこともあります。それでは、どうやって希望を保ち続けることができるでしょうか。それは、先達が歩んだ歴史を自分の身に起きたこととして受け止め、神からの恵みを繰り返し心に刻むことです。主は確かに力強く、起死回生の道を切り開いてくださいました。たとえ今どのような状況であったとしても、約束されたその日、主は正義を満ち溢れさせ、私たちの重荷を取り去ってくださるのです。


音声メッセージ

詩編 55編17-23節
あなたの重荷を主にゆだねよ


花材/ ぼけの実 リンドウ 黄菊 ソリダコ
花材/ ぼけの実 リンドウ 黄菊 ソリダコ

 私たちは各々、信じている神に祈りをささげます。「苦しい時の神頼み」ということわざがあるように、上手くいっている時ではなく、困窮している時に祈るのが人間の現実です。しかしどこまで本気で、祈りが聞かれることを信じているのでしょう。叶ったらラッキーぐらいの感覚でしょうか。それとも祈ったら必ず願いが叶えられるのでしょうか。もし前者ならば居ても居なくても変わらないような存在の神、後者ならば祈願を叶える道具のような神として、認識しているかもしれません。キリスト教の神は、無力でもなく万能な道具でもない、人格的に関わり合う存在です。

 ダビデという王様は、悩みや不安や怒りや悲しみを神に投げつけるかのように、本心で祈ります。そして主が敵から自分を助け出し、祈りに応えてくれることを体験しているので、本気で信じています。それは今まで培ってきた信頼関係を基礎とした、祈りという名の対話だからです。関係性は一朝一夕では築けません。知らない人に重要なものを託せません。しかし自分でも他人でも解決できない重荷を、信頼して神に委ねる時、力強く支えてくださる主との出会いが与えられることでしょう。


音声メッセージ

ヨハネによる福音書4章6-26節
イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。

花材/グロリオーサ・レモンの実・青ツツジフジ
花材/グロリオーサ・レモンの実・青ツツジフジ


 視点を変えると、これまでとは違う景色が見えてきます。子どもとかくれんぼをすると、思いがけない場所を巧みに使う姿に驚かされます。タワーからの展望は、はるか遠くまで見渡すことができるでしょう。人生においても、つま先立ちで背伸びする時や、身を屈める時があると思います。そして、疲れ果てて弱さに打ちひしがれる時でなければ、知り得ないこともあります。厳しい状況の時にこそ、うわべは取り除かれて真理が明らかになるからです。

 イエスが渇きを覚え疲れて倒れ込む場面は、私たちのイメージする救い主の姿とかけ離れているかもしれません。しかし、そこでなければ出会えない人たちがいます。心の中に暗い気持ちを 抱えている時には、明るい所に近づきにくいものです。その時イエスが助けを求めたのは、差別されていた地域の中で、さらに小さくされていた一人の女性でした。イエスが隠された所にまで身を屈められたからこそ、交わりを拒絶していた人との出会いが与えられました。イエスの渇きは共感を生み、人の心の渇きに触れられて、命の水で潤されます。主は私たちの弱さや欠けや疲れをも、出会いのために用いてくださることでしょう。


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