マタイ5章21-26節
供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰ってきて、供え物を捧げなさい。

私たちが抱える悩みの多くは人間関係にあります。誰もが人間関係の悩みを持っています。この関係性を壊しかねないのが「怒り」ではないでしょうか。
心理学の中では、怒りとは一番初めの思いではないと言われています。例えば、思い通りに物事が進まない時、焦ります。自分の事を大切にされていないと思う時、寂しさを覚えます。
約束の時間に相手が現れなければ、不安になるでしょう。自分のこだわりから外れれば、戸惑います。その後、怒りという感情が湧いてくるのです。しかし、怒りをぶつけても、その奥にある思いまでは伝わらず、根本的な解決には至りません。怒りを怒りのまま発しないためのコツとして、6秒間を数えるというものがあります。怒りは瞬発的に爆発する傾向があるので、6秒待つと、ある程度冷静さを取り戻すことができるのです。
イエス様は、「怒りを発するならば、殺人と同様に裁かれる」と語られました。「悪口を言うならば、火の地獄行き」だと語ります。だからこそ、急いで仲直りしなさいと勧めました。神様が人間たちに差し伸べられた仲直りの手、それがイエス・キリストです。
その手が私たち一人一人をも繋ぎ合わせていくのです。
マタイ4章18-25節
イエスは「わたしについてきなさい来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」と言われた。
二人はすぐ網を捨てて従った。

ガリラヤ地方にある湖のほとり、そこで漁をしていた4人の若者がいました。イエス様は呼び掛けます。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」その言葉に聞き従い、4人はイエス様の弟子になりました。彼らにも養う家族がいました。不安や戸惑いもあったことでしょう。それでも彼らはイエス様を信じ、従っていきました。
ガリラヤ地方にある湖のほとり、そこでイエス様達は伝道活動を始めます。チームで伝道の働きを進められたのです。①留まらずに歩き回り、人々と出会い続けました。②礼拝の場所・教育の場所・裁判の場所であるシナゴーグで聖書を語りました。③「天の国が近づいた」という良い知らせを伝えました。④身体の痛み、心の痛み、魂の痛み、社会的な痛みに寄り添い、その痛みを癒していきました。その姿を通して、多くの人々がイエス様を信じ、従っていきました。
今でも同じことが言えるのです。イエス様が私のところにまで来られた。招いてくれて、教えてくれて、福音を語り、癒しの手を差し伸べてくれた。だからこそ、この恵みと喜びを隣人に分かち合っていきたい。一人ではなくチームで協力しながら、伝道の働きが繋がっていくのです。
- 杉本拓哉牧師

- 2021年1月24日
- 読了時間: 2分
マタイ4章12-17節
暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が差し込んだ

イエス・キリストによる初めのメッセージ、それは「悔い改めよ。天の国が近づいた」という呼び掛けの言葉でした。これはバプテスマのヨハネから引き継いだ言葉です。しかし、同じ言葉でも、ヨハネとイエスでは内容に違いが出てきます。『天の国は近づいた』とヨハネが語っても、ヨハネ自身が天の国を動かすことは出来ません。その時が近づいてきている事を預言したのです。天の国とは、神様が王様として支配する王国です。王様は王子を代理人として派遣します。神の子がこの世に生まれたクリスマス。天の国の権威を持つ方が、地上の国にまで降って来た。イエスが「わたしのもとに来なさい」と語る時、それは天の国への招待です。まさに『天の国は近づいた』のです。
『悔い改めよ』とヨハネが語る内容は、過去に犯した罪の告白と、神へ焦点を向けることの招きです。しかし、神様がどこにいるのか分からなければ焦点を合わせることが出来ません。『悔い改めよ』とイエスが語るのは、私たちと一緒になって、神様のもとに連れていくためです。まるで迷子の子どもが親の居る場所を分からなくなってしまった時に、子どもを見つけて一緒に神のもとに立ち帰るために、イエスは派遣されたのです。