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神の国の大宴会
更新日:11月24日
ルカによる福音書 14章15節-24節
主人は言った。「通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。」
もしも興味のある試合の観戦に、特別に招待されたら嬉しくなります。しかしそれが当たり前だと感じるようになったり、助けを借りなくても自分の力で行ける気になったりしたならば、ありがたみは無くなるでしょう。
神の国の宴会においても同じことが言えます。たとえ話では、財産や仕事や家族が増えた人達は、予定されていた宴会の出席を断り、自らの満足を優先しました。大勢が招かれている宴会ならば、自身が居ても居なくても同じだと考えたのかもしれません。前もって参加の表明をしていたとしても、行かないのも個人の自由だと考えていたのかもしれません。自分を低くしすぎたり高ぶったりする時、自己中心的になります。宴会の主人である神様が、どれだけ一人一人のことを大切に思ってくれているかなど想像もしません。
逆に、宴会に参加したのはどのような人なのでしょうか。それは神様に飢え渇き、満たされることを願う人。神様を前にして、欠けだらけの自分に気付く人。自分の力では、神の国に行けないと自覚する人です。イエス・キリストによって、全ての人に招待状は届けられました。感謝と賛美をもって応答していこうではありませんか。
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