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待ち人来る
更新日:11月20日
マタイによる福音書 25章1-13節
だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。
「油断」という言葉の由来は、仏教の物語という説があります。王様が家来に油の入った鉢を持たせ、「こぼしたらお前の命を絶つぞ」と言ったのだそうです。本日の聖書箇所も「油断」についての物語です。ユダヤにおける結婚式、新婦の友人たち10人は、夜中にやってくる新郎のためにランプを灯して待っています。しかし、新郎の到達は予定よりも遅れ、10人のおとめたちは全員眠ってしまいます。5人は予備の油を持っていたため事なきを得、他の5人は油を求めて出かけて行き、結婚式に参加できなくなってしまったという物語です。
この物語における油は、信仰・善行・聖霊・祈りなどを譬えていると考えられます。いずれにせよ、私という器に溜められる油には限界があります。人生の中では、油が切れたり、火が弱まったりする瞬間もあることでしょう。大切なのは私の中にある油ではなく、新しく注がれる油を用意しているかどうかです。油を注いで下さる神様を求めていくこと。自分自身の器や油を、誇ったり貶めたりするのではなく、油断せず主に立ち返ってまいりましょう。主が来られるその時は、まるで結婚式の喜びと希望で満ちているのですから。
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