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見捨てられた十字架
- 杉本拓哉牧師
- 5 時間前
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マタイによる福音書27章32-56節
イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と、十字架上でイエスは叫びます。妬みに駆られた宗教指導者から貶められ、弟子たちは一目散に離れ去り、裁判を取り仕切る総督は無責任にも自己保身に走り、空気に流された群衆は手のひらを返し、イエスは十字架で処刑されます。そして信頼する神からも、引き離される痛みと悲しみを味わったのでした。
もしかしたら私たちも心当たりがあるかもしれません。周りの空気を恐れてイジメに加わったこと、妬みによって誰かの足を引っ張ったこと、自分さえ良ければと行動したこと、罪の性質は昔も今も変わらない所があります。イエスがそれらの罪をも肩代わりしてくれたと信じる時、十字架の贖いと救いの御業を知ることになるでしょう。
義なる神と罪ある世界は、神殿の幕によって隔てられていました。それは罪人が聖なる神に不用意に近づき、裁かれないようにするためでもありました。しかしイエスが罪を引き受けられて死に至る時、神殿の幕は真っ二つに破かれます。神の怒りは罪を引き受けたイエスに表されたので、人には赦しと関係性の回復、神との直接の交わりが与えられるのです。そして神は、隔たれていた幕を引き裂いて、愛する息子のもとに駆け寄ったのではないでしょうか。
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