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人の不思議
更新日:11月20日
創世記 2章7-17節
主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。
聖書には、神が人をどのように造られたのか書かれています。それは、人を土の粒子から粘土をこねるように、神に似た姿に造ったという物語です。人の体を構成する元素は、酸素・炭素・水素・窒素・カルシウム・リン・硫黄などから組み合されており、確かに地上の成分と同じであると言えます。しかし、それらの成分を混ぜ合わせたからといって、人ができるわけではありません。形造られた人の鼻に、神が命の息を吹き入れられ、生きる者となったと聖書は告白しています。そこには二つの自己認識があるでしょう。一つ目は、土の粒子に過ぎないという謙遜の心。もう一つは、神が丁寧に形造り、神の命が与えられているという自尊心。高ぶらずに、卑下せずに、その間に立つ存在として人は造られました。
そのような人に役割が与えられます。自然を耕し、守るようにという働きです。託された場所の中央には、命の木と、善悪の知識の木がありました。自然を耕し守ることは、神のいのちと、神の思いと判断を、自らの生活の中心におき大切に守っていくことでした。そのようにして、神と人と自然は関係を築いていました。そして終わりの時、土から造られた体は土に帰り、神から注ぎ込まれたいのちは神に帰っていくのです。
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