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執筆者の写真杉本拓哉牧師

信じるor疑う

更新日:11月20日

創世記 15章1-18節
「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」
アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。

花材/かすみ草・カーネンション・小菊・ムラサキシキブ
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 みなさんはどういう時に救われたと感じますか。例えば、赦されたり、受け入れられたり、悩みが解消された時に、救われたことを実感するのではないでしょうか。ほとんど全ての宗教は、救いについて語ります。その救いが、現在の出来事なのか未来の出来事なのか、個人なのか集団なのか、自分の力なのか他者の力なのか等の違いがあります。聖書にはどちらの見解も散りばめられていますが、神様が救いであることを何度も繰り返し述べられています。それでも私たちはどこかで「もっと自分が頑張れば救われる」、「結果や成果を出すことによって救われる」、「良い行動によって救われる」などと思い込んでしまうものです。

 アブラムには、自分の力ではどうにもならない悩みがありました。子どもができず、ずっと祈り求めてきましたが、なかなか与えられません。年齢は80歳前後。約束を疑い、諦めかけていたのです。それでも神様は再び、あなたに子どもが与えられると約束されました。アブラムは神様の言葉を信じて受け取ります。神様もアブラムを義として受け入れました。この約束が叶えられるまで更に20年の月日を要します。それでも神様は確かにアブラムを救われたのです。


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