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執筆者の写真杉本拓哉牧師

子どもを献げる?!―主が備えられた―

更新日:11月20日

創世記 22章1-18節
アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。

花材/薔薇・蝋梅
花材/薔薇・蝋梅

 私たちは他の人の痛みに鈍感です。その出来事が自分の身に降りかかる時にようやく、全く同じではないにせよ、相手の痛みに寄り添うことが出来るのではないでしょうか。今日の箇所は、愛する家族を失う物語です。

 アブラハムは、子どもを献げるという道を通らされました。「神様が与えてくださった、愛する子どもを、神様が求めるならば献げよう。それでも神様ならば、どんな状態からでも命を与えてくださるに違いない。」祈りと願いを込めて息子イサクに手をかけようとした時、神様はアブラハムを呼び止めます。アブラハムの心を神様は受け取り、イサクの命を再び与えました。理解出来ないと、多くの人が躓く箇所です。

 聖書は「イエス・キリストが私たちの罪のために十字架で死なれた」ことを語ります。イエスは神様の愛するひとり子です。親が子どもを失う痛みを、神様は最後まで引き受けられました。神様は全ての痛みに寄り添います。私たちに命を与えるために、私たちの罪を引き受け、私たちの代わりに死なれた。クリスマスの喜びと、十字架の贖い、イースターの希望は、全ての人々へ注がれる神の愛なのです。



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