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安息日の主
更新日:2024年11月24日
ルカによる福音書 6章1-11節
「あなたがたに聞くが、安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」。
誰しも休息は必要です。多くの人は一日の三分の一から四分の一程度、睡眠しています。私たちは皆、心も体も休みが必要な存在としてデザインされています。ユダヤの歴史の中で、奴隷として休みなく働かされていた時代がありました。そのような捕囚の身から、主が解放してくださった出来事が出エジプトです。だからこそ主の救いを覚える日として、自分も家族も奴隷も仕事をせずに休みなさいと律法に記されるようになりました。これが安息日の根拠です。安息日は、お互いの命を大切に生きるためのルールです。しかしルールを守ることに一生懸命になり過ぎると、何のためのルールなのか、その目的を見失ってしまうことがあるのです。
イエス達は週に一度の安息日も、お腹が空いたら麦を摘んで食べたり、病人に出会ったら病を癒したりしていました。律法の専門家は、イエス達を「何で安息日に仕事をしているのか」と裁き、怒りをあらわにします。ルールを定めた方の心はどこにあるのでしょう。目的に沿わない形で、ルールの奴隷になっているならば解放が必要です。相手を責めて裁くための安息日ではなく、神と共に人と共に、心も体も憩う安息日を過ごしてまいりましょう。
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