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復活のイエス、魚を食べる。
更新日:11月24日
ルカによる福音書 24章36節-53節
そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。
『平和』①安らかに和らぐこと。穏やかで変わりないこと。②戦争がなくて世が安穏であること。(広辞苑参照)ヘブライ語の『シャローム』は、平和と訳されますが、それだけでなく神や人との関係が健全に満たされた状態を表します。ユダヤでは日常的にこの言葉で挨拶を交わし、お互いに平和を祈ります。言葉の持つ意味合いから、自分だけの平和はあり得ません。もしも隣人が痛み苦しんでいるならば、平和ではないのです。
イエスは人々の真ん中に立ち、「シャローム」と声を掛けます。弟子たちはイエスを裏切って逃げたという負い目がありました。イエスが死んで葬られたならば、亡霊なのではないかと恐れました。復活の知らせを聞いていても、イエスを目の前に見ていても、復活を信じることのできない弟子たちは、疑いの心に支配されていました。神との関係も人との関係も、傷つき分断されていたのです。それでも平和を祈り、関係を回復してくださる和解の主がおられます。疑心暗鬼の弟子たちの真ん中で、同じ釜の飯を食べてくださる主がおられます。十字架と復活の救い主が、私たちの心の目を開き、つなぎ合わせ、証人として立ち上がらせてくださるのです。
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