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執筆者の写真杉本拓哉牧師

見て・見られ・見つめる

更新日:11月20日

使徒言行録 3章1節-10節

ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。


花材/黄梅の木・紫陽花
花材/黄梅の木・紫陽花

 人間の感覚器の内、情報の約83%を視覚から取得していると言われます。私たちの日常において、目に頼らずに生活するのは困難でしょう。そして価値観とは、見るものや出会いによって育まれていきます。もしも暴力が日常的に行われている環境であれば、相手を支配することが普通になってしまいます。もしもレッテルではなく一人一人と出会う環境ならば、相手を尊重していく社会となるでしょう。「雑草という名の草はなく、雑用という仕事も無い」という言葉があります。どのように見るのかが大切です。

 足の不自由な人が、神殿近くの門のそばで物乞いをしていました。まるで物を扱うかのように、運ばれてきたこの人は、目の前の人がお金をくれるのかどうかに関心を寄せていました。ペトロとヨハネの姿がこの人の目にうつります。二人はこの足の不自由な人を熱心な目で、物ではなく大切な命として見つめます。そして「私たちを通して神様を見出しなさい」と語り掛け、手を差し伸べ、イエスの名による癒しが与えられました。イエス御自身の願いと憐みが現わされたのです。この人はすぐさま方向転換して、主に向かって喜び踊り、賛美をささげていきました。


音声メッセージ

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