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正義感による殺害
更新日:2024年11月20日
使徒言行録 7章44-60節
ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。
正義は時に暴走します。大切な場所が奪われ、更なる武力をもって取り返そうとしたのが十字軍でした。周辺諸国を占領した日本を止めるという名目で、原子爆弾は落とされました。自分の正義が大きくなり、その背後で小さくされた他者の声に耳を傾けられなくなる時、命はおびやかされてしまいます。一人ひとりに正義はあり、それらは大切にされるべきものです。しかし、自分の正しさだけを追い求めていくならば、戦争は何度でも起こります。
2000年前ステファノは、当時の宗教指導者に悔い改めを迫りました。それは、彼らが神の正義を尋ね求めるよりも、自分の正しさに固執していたためです。神に仕え、神を信じている者が、神から遠く離れてしまっていたのです。彼らは神殿での祭儀と、先祖の教えを守ることにこだわり、心も耳も頑なになっていました。ステファノは家族の一人として、赦された罪人の一人として、イエス・キリストを、命の御言葉を語ります。しかし結末は、イエスの時と同様に殺害されてしまいます。それでも共に生きる道は、人の正義の中ではなく、神の正義の中にあります。ステファノは命懸けで、天に居られる神を見つめ、隣人を愛し抜きました。
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