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執筆者の写真杉本拓哉牧師

イエスの名によるバプテスマ

更新日:11月20日

使徒言行録 18 章 24 節-19 章 10 節
「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。

花材/ハラン・アルストロメリア
花材/ハラン・アルストロメリア

 こだわりを持つこと、突き詰めていくこと、精度を高めていくことは、専門家に必要な能力の一つかもしれません。もちろんずっと集中し続けることは出来ないので、緩急も重要となります。短距離ではなく長距離の道のりを、キリスト者は目標に向かって一歩一歩、歩みを続けます。初めは大まかな方向を見定めて目標に近づき、当初の見積もりとのズレに気付かされた際には軌道修正をします。目標であるイエス・キリストご自身が、今も生きて働いておられるからこそ、目を注いで耳を傾けて、向かうべき方向を更新していく必要があるのです。

 イエスは罪人の一人として、洗礼者ヨハネが道を示した悔い改めに賛同し、バプテスマを受けます。そして罪人に連帯し、罪人の代表として、神様の前で多くの罪を背負われた出来事が十字架の死だったのです。さらに死んで終わりではなく、三日目に神様によって起き上がらされ、復活の命に与りました。このイエスに連帯し、一つとなり、罪に死に命に生きることの目に見える形での告白が、イエスの名によるバプテスマです。この道は、一人きりの歩みではありません。隣人と共に、主イエスと共に、一歩ずつ踏みしめていこうではありませんか。


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