top of page

御心はどこにあるのか

わたしたちは、「主の御心が行われますように」と言って、口をつぐんだ。
使徒言行録 21章1-16節

花材/オリヅルラン・プルメリア・シンビジュウム
花材/オリヅルラン・プルメリア・シンビジュウム

 教会用語で「御心」という言葉があります。神様の心という意味ですが、クリスチャンは聖書を読んだり、祈りを献げたりする中で、神様の思いを尋ね求めます。親しい関係の相手でも、言葉にしなければ思いは伝わらないものです。思い込みは、すれ違いのもとであることは言うまでもありません。コミュニケーションが大切であることは、神様との関係においても同様です。

 時に神様は、預言として将来起こり得る可能性を伝えたり、幻を通してビジョンを見せたりすることがあります。パウロと幾人かの人々に、聖霊の導きにより一つの幻が与えられました。それはエルサレムでパウロが捕らえられ、苦難に遭うというものでした。全く嬉しくない将来の展望です。友人たちはパウロを引き留めますが、パウロは命よりも大切なものを見つめ、突き進もうとします。たとえ命を失うとしても、イエス・キリストの福音が届けられることに価値を見出だしていたからです。友の命を惜しみ、引き留めるのも愛であり、主からの使命に生きることも愛です。愛が対立しているような中にあって、自分の思いだけでなく、相手の思いだけでなく、「御心がなりますように」と、神様の思いのもとに一致する祈りが献げられました。


音声メッセージ

閲覧数:11回

最新記事

すべて表示
bottom of page