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執筆者の写真杉本拓哉牧師

特権階級

更新日:11月13日

使徒言行録 22章22-30節
「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってもよいのですか。」

花材/宿根かすみ草・カーネーション・アブラナ
花材/宿根かすみ草・カーネーション・アブラナ

 はたして神様は平等で公平なお方でしょうか。平等とは一律に等しいこと、公平とはえこひいきのないことです。神様が一人ひとりに与えられた人生、その区切りとなる死は誰しもおとずれるため平等です。しかし生まれ育った環境、身体能力、知能や才能はそれぞれ異なるため不平等とも言えます。神様による罪の裁きは公平に与えられることでしょうが、ある個人やある民族を選び、特別な使命を与えられるため不公平でもあるでしょう。

 パウロは、ローマの市民権を持ち、当時の特権階級に属していました。そのパウロを神様は選び、異邦人に福音を宣べ伝える者として派遣されました。しかしユダヤ人たちはこの話を聞いた時に、激しく怒り拒絶したのです。例えるならば、自分が受け取っていた親の愛情が、他の子に奪われてしまうような感覚に陥ったのでしょう。しかし神様の選びは、恵みを自分だけで独占するのではなく、その人や民族を通して主の祝福と栄光が広がっていくようにとの願いが込められていました。それはアブラハムを通してユダヤ民族に、イエス・キリストを通して全ての人々へと広められました。このようにして神様の愛は全ての人々へ平等に注がれ、救いの道は公平に与えられているのです。


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