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罪状のない囚人
更新日:11月13日
使徒言行録 25 章 13-27 節
このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。
ホロコーストから生還したフランクルは「夜と霧」を執筆しました。彼曰く、死が身近な極限状況では、未来に対して生きる意味を見出しているかどうかが問われます。希望や使命がいのちを輝かせると言えるかもしれません。現代もまた、生きることが困難な世の中であり、自分一人では限界があります。心を神に向け希望を持つこと、神から働きを託されて使命に生きること、関係性の中にある命のモデルが聖書に記されています。
パウロは無実の罪で捕らえられ、政治の道具として扱われ、二年間も監禁されていました。裁判を担う総督が、正義や真実や良心によって判決を下すのではなく、権力者の都合に合わせた裁きをしていたからです。目を背けたくなるような人の汚さやズルさも、聖書は記述しています。ただしそれだけではなく、苦しみの中にあっても輝くいのちの光が証しされています。パウロが見出していた希望は、イエス・キリストの復活でした。彼の証言には、救い主によって罪の死から救いだされた喜びで溢れています。このようにしてイエスの名前は、パウロを通してローマ総督やユダヤの王にまで届けられました。それは人の計画ではなくパウロに与えられた神様の約束であり使命だったのです。
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