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執筆者の写真杉本拓哉牧師

安息日の主

更新日:11月20日


マタイによる福音書 12 章 1-8
人の子は安息日の主なのである。

花材/レウカレンドロン・ドラセナ・ヒペリカム・菊2色
花材/レウカレンドロン・ドラセナ・ヒペリカム・菊2色

 考え方や価値観の異なる者同士が共に生きる時、ルールが必要になります。共存のためには、互いの違いを尊重しつつも、共通の基盤を築くことが求められるからです。しかしルールは、固定されるものではなく、時代や社会の変化に合わせて調整する必要があるでしょう。なぜなら、人々がいきいきと共に生きるためにルールは存在し、ルールのために人がいるのではないからです。

 ファリサイ派の人々は、律法の字句を厳格に守ることに一生懸命になるあまり、律法を与えられた神の意図から遠ざかってしまいました。イエスは聖書の物語から律法を再解釈することにより、本来の意味を取り戻されたのです。律法の目的は人を縛りつけ、裁くためではありません。神が憐みをもって自由を与えられた主の民が、神と隣人と共に喜び生きるためでした。神が喜ばれるのは、形だけの犠牲をささげることではなく、愛をもって神と人とに仕えること。形式よりも、心に込めた愛を、神は大切にされるのです。イエスは「安息日の主」であると宣言します。この方が、私たちを神との交わりに招き、心と体の安らぎを与え、苦しみにある人に寄り添い、隣人と共に自由を味わうようにと繋ぎ合わせてくださるのです。


音声メッセージ


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