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希望を誇り、苦難をも誇る
- 杉本拓哉牧師
- 3月16日
- 読了時間: 2分
ローマの信徒への手紙5章1-11節
わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。

あなたにとっての「誇り」は何でしょうか。家族や恩師や友人、伝統や文化、何事かを成し遂げた経験、自身の価値観や生き方など、自慢や喜びに繋がるものを思い浮かべたかもしれません。それらは自分が生きる上での基礎とも言えるでしょう。
パウロの誇りは、神の素晴らしさを体験するという希望、将来あずかる恵みの約束にありました。それは立派な信仰生活によって獲得したものではなく、イエスの贖いと復活によって与えられた、神との関係性の回復に基づくものです。罪は人と神とを引き離し、関係性を傷付けていくものです。それでも、一方的な恵みによって与えられた神との和解が、救いの根拠となるのです。
通常、苦難を誇ることはしません。迫害や困窮や災害が喜びにはなりません。しかし、苦難の中で神を見出す人も少なくないのです。自分ではどうしようもできない事柄に直面しても、神を頼りとする道は開かれています。神との交わりを深め、神の力を体験し、神の栄光が分かち合われる機会となるからこそ、パウロは苦難をも誇ると断言します。自慢するためではなく、共に救いの喜びにあずかるため、十字架の死から復活の命を与えられる主を誇りとするのです。
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