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ゲッセマネの祈り
- 杉本拓哉牧師
- 4月13日
- 読了時間: 2分
マタイによる福音書26章36-46節
そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」

尊敬しているリーダーの弱々しい一面を見たら、ショックを受けることもあるでしょう。頼りにしていた親の老いに直面した時は、少なからず驚き、目を逸らしたくなるかもしれません。
イエスが直面していた、悲しみや苦しみは何だったのでしょう。十字架刑の肉体的・精神的な痛みでしょうか。弟子の裏切りや無理解、別離の悲しみでしょうか。はたまた神の怒りと憤りの杯を一身に引き受けられることだったかもしれません。神の怒りは罪に向けられます。イエスが人々の罪を代わりに受けられるならば、神とイエスは断絶せざるを得ません。今まで心を合わせていた神と、恐らく初めて意見がぶつかるのです。その上でイエスは、神の思いを優先する従順さを示されました。この振り絞るような祈りの格闘を、弟子たちも見ていましたが理解できず、眠りに落ちてしまいます。
そしてイエスは自らの弱さを吐露しながらも、弟子たちを気に掛けます。「離れないで一緒に目を覚ましていてくれ」、「共に祈りを合わせよう」、「共に立ち上がり出かけて行こう」と。イエスは、何度起こしても寝てしまう弟子たちを憐れむのです。インマヌエル(ヘブライ語で、主は我らと共におられるという意味)の主が、新しい歩みへと、私たちを導き招くのです。
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