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神の時の中
- 杉本拓哉牧師

- 10月19日
- 読了時間: 2分
コヘレトの言葉 3章1-17節
私は知った。/神が行うことはすべてとこしえに変わることがなく/加えることも除くこともできない。/こうして、神は、人が神を畏れるようにされた。

朝晩の涼しさに、秋の訪れを感じます。季節が移り変わる時を、自然は静かに告げています。人生にもまた、喜びの時、涙の時、笑う時、黙る時があります。けれども、私たちは思い通りに「時」を選ぶことはできません。特に、大切な家族や友人との別れは、心を引き裂くような悲しみをもたらします。思わず「なぜ今なのか」「なぜこの人なのか」と問いかけずにはいられません。
イスラエルの歴史もまた、周囲の大国に翻弄され続けてきました。より大きな武力によって、正義が反転する姿を目にする機会もありました。自由と自治を求めた戦争であったとしても、命は失われ、農作物は奪われ、家屋も壊されてしまいます。そのような極限状態において、私たちは何を大切に生きるのでしょうか。コヘレトは神を見上げ、神の定める時に信頼し、賜物としての生涯に幸せを見出します。私たちは、神から託された束の間を生きています。時に選択肢を間違えてしまうこともあるでしょう。それでも神は、全ての時の責任を、全ての罪を引き受けてくださいました。今日という時も、与えられた命も、出会いも全て神の時の中にあります。自分の力ではどうしようもできない時こそ、「神の時」が私たちの支えとなり、希望となるのです。
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