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ディートリヒ・ボンヘッファー
- 杉本拓哉牧師

- 2月1日
- 読了時間: 2分
ヤコブの手紙 2章14-26節
もし、か兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。

ナチスの時代、ボンヘッファーという牧師がいました。彼は「安価な恵みは、私たちの教会の死に至る敵である」という言葉を残しました。悔い改めることなく赦されるなら、そこに罪の自覚は生まれません。自分の罪の大きさを知らなければ、代わりにそれを負ってくださった方への感謝や驚きも起こらないでしょう。イエスを信じることは、イエスへの従順を伴います。神は十字架という大きな犠牲を支払い、罪の赦しを成し遂げられました。この神の愛こそが、私たちの生き方を変える原動力です。十字架に死ぬ者は、十字架の命に生きるように変えられるのです。
当時のドイツ教会は、神の恵みによって赦されているという信仰を持ちながらも、具体的な行動や社会的責任に結び付いていませんでした。教会は救いを語りながら、迫害や差別という現実の不正に沈黙してしまったのです。苦しむ隣人を見捨てるならば、主が生きておられる教会ではなくなります。ボンヘッファーは、そのような信仰のあり方を安価な恵みと呼び、厳しく問いかけます。高価な恵みは、神の御子の命によって与えられる全ての賜物です。そしてこの恵みは、今日も私たちに与えられています。主は私たち一人ひとりを招き続け、新しい歩みへと導いてくださるのです。


