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悲しみと慰め
更新日:2024年11月20日
使徒言行録 12章1-19節
教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。
人は理不尽な出来事にどのように立ち向かえば良いのでしょうか。いじめや差別を経験した人は、なぜ自分がこのような苦しみを味わうのかと理由を求めるでしょう。震災や戦争で危機一髪助かった人もまた、なぜ自分が生かされたのかと理由を求めるかもしれません。
神様を信じれば全て上手くいくなどと、聖書は記していません。ヤコブは殉教し、ペトロも牢屋に捕まっています。それでも奇跡的に天使に助けられ、ペトロは解放されます。その背後には教会の祈りがささげられていました。喜びの出来事です。しかし、生死を分けた違いはどこにあるのでしょう。本人の信仰や立場、それとも他者の祈りなのでしょうか。なぜペトロは助かり、ヤコブは助けられなかったのでしょうか。
神様はこれらの問いに沈黙しつつ祈りを聞かれます。人の罪の結果であるにもかかわらず、神の責任のもと、命を引き受けられるのです。計り知れない神の思いがそこにあります。そして人には想像もできない救いの御業をも見させてくださるので、私たちは絶望に囚われることなく、希望をもって神様に祈りをささげることができるのです。死から命へと導かれる主が、共に泣き共に喜んでくださるのですから。
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