top of page
執筆者の写真杉本拓哉牧師

散らされて・告げ知らせた

更新日:2024年11月20日

使徒言行録 8章1-25節

ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。


花材/ソテツ・ホオズキ
花材/ソテツ・ホオズキ

 あなたにとって神様とはどのような存在でしょうか。自分に良いものだけを与えてくれると信じるならば、事故や災害に直面する時に神様の存在を見失うかもしれません。

 誕生したばかりの教会は、ユダヤ教の権威から目を付けられ、石打の刑にあう人や逮捕される人が出てきました。しかし、これらの出来事を通して人々は散らされていき、神の国の福音がエルサレムを越えて広がっていったのです。その一つにサマリアという町がありました。ユダヤ人とサマリア人は歴史的な確執があり、犬猿の仲でした。チャレンジしなければ出会えない人がいます。

 関係性における壁は存在します。しかしその壁を乗り越えて、福音は届けられました。特別な誰かではなく、イエスの弟子たち皆が、イエスが語られたように福音を語り、イエスがなされたように癒しの御業を成し遂げます。それは人の力ではなく、神ご自身が働かれた出来事と言えるでしょう。弟子は師匠に倣(なら)い従います。イエスは神と人との壁を乗り越えて、この世に来られました。エルサレムの教会とサマリアの教会が、壁を乗り越え一致して祈りを献げる中で、聖霊の賜物が注がれていきました。


音声メッセージ

閲覧数:13回

最新記事

すべて表示
bottom of page