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執筆者の写真杉本拓哉牧師
ルカによる福音書 6章1-11節
「あなたがたに聞くが、安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」。


花材/三光松・南天・水仙・山茶花・花筏
花材/三光松・南天・水仙・山茶花・花筏

 誰しも休息は必要です。多くの人は一日の三分の一から四分の一程度、睡眠しています。私たちは皆、心も体も休みが必要な存在としてデザインされています。ユダヤの歴史の中で、奴隷として休みなく働かされていた時代がありました。そのような捕囚の身から、主が解放してくださった出来事が出エジプトです。だからこそ主の救いを覚える日として、自分も家族も奴隷も仕事をせずに休みなさいと律法に記されるようになりました。これが安息日の根拠です。安息日は、お互いの命を大切に生きるためのルールです。しかしルールを守ることに一生懸命になり過ぎると、何のためのルールなのか、その目的を見失ってしまうことがあるのです。

 イエス達は週に一度の安息日も、お腹が空いたら麦を摘んで食べたり、病人に出会ったら病を癒したりしていました。律法の専門家は、イエス達を「何で安息日に仕事をしているのか」と裁き、怒りをあらわにします。ルールを定めた方の心はどこにあるのでしょう。目的に沿わない形で、ルールの奴隷になっているならば解放が必要です。相手を責めて裁くための安息日ではなく、神と共に人と共に、心も体も憩う安息日を過ごしてまいりましょう。


音声メッセージ

執筆者の写真杉本拓哉牧師
ルカによる福音書 5章1-11節
「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」

花材/蝋梅・はらん・ 椿赤白
花材/蝋梅・はらん・ 椿赤白

 尊敬する人の言葉で、チャレンジが促されることもあるでしょう。新しい仕事を「あなたに任せたいんだ」と託されたらやる気が湧いてきます。先生から「この問題、君ならできるよ」と言われたら前向きに試みます。しかし関係性がなければ、届かない言葉もたくさんあるでしょう。

 シモン・ペトロにとってイエスは、義母を病から癒してくれた恩人でした。シモンらが夜明けまで漁をしても獲れず、諦めて片づけをしていたところにイエスはやってきます。そして「舟に乗せてくれないか」と頼むのです。しばらくしてイエスの用事が終わると、今度は「網を降ろし、漁をしなさい」と命じます。シモンは諦め半分「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と応えます。すると驚くほどの魚がかかっていたのです。私たちはイエスの働かれる領域を制限してしまいがちです。心の中の汚れた場所には入って来ないで欲しい、イエスはこの問題に関係ない、仕事に関してはイエスよりも自分の方が詳しいだろう等々。しかしイエスは、私の生活のど真ん中にまで来られます。そして驚くべき恵みを通して、私たちを悔い改めに導き、新しい使命へと遣わしてくださるのです。


音声メッセージ

信徒説教
【世の光ニ月号 こひつじかい新聞参考】


シクラメン
シクラメン

 『ルワンダってどんな国?』ルワンダはアフリカ大陸の真ん中あたりにある小さな国。三十年ほど前に、戦争と大虐殺によりたくさんの人びとが殺されてしまった。その時生まれていなかった大学生に、平和をしたら良いかをルワンダの大学で教えているのが佐々木和之さん。平和を作りだすリーダーとなるよう、平和学という授業を教えている。最近は戦争や迫害から逃げてきた、コンゴ民主共和国やブルンジなど、隣の国の若者たちも一緒に学んでいる。お連れ合いの佐々木恵さんは、戦争の加害者家族も被害者家族も、共に生きていくことができるような働きをしている(ウムチョ・ニャンザ)。

 『どうしたら平和になるの?』平和をつくるために、何が必要だろう。その一つが教育だ。力によって対立し争うとよりも、話し合ってつながりを取り戻すようにと学び合う。平和を作りあげることを、自分から選び取ることがでるように、和之さんと恵さんは働いている。聖書の言葉から力をいただいて働いている。なぜなら、神さまが私たち互いにつなげてくださり、神さまと私たちをつなげてくださるイエスさまがおられるから。

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