使徒言行録 23 章 1-11 節
その夜、主はパウロのそばに立って言われた。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」

自分がひそかに抱えている本心を、打ち明けるには勇気が必要です。一推しのアイドル・多くの時間を注いだ趣味・育んでいる夢・病気・好みなど、告白することをカミングアウトと言います。もしも本心を伝えるならば、今までとは関係性が変わってしまうのではないか、白い眼で見られ嫌われてしまうかもしれない、恐れや不安が湧いてきます。少数派の思いは簡単に踏みにじられてしまうことがあるからです。現代においてもキリスト者と知られれば、迫害されてしまう家庭や地域や国家も存在します。
パウロは元々律法に熱心なユダヤ教徒であり、キリスト者を迫害していました。しかしイエスとの出会いによって変えられ、諸外国への宣教という使命が与えられ出かけて行きます。それは自分の力ではなく聖霊なる神の力による旅路でした。様々な経験を重ねたパウロに、古巣であるエルサレムにて福音を分かち合う機会が与えられます。精一杯パウロは言葉を尽くして証したのですが、聞いた相手は怒り狂い、思いは届けられません。おそらく彼は悲しみ落ち込んだことでしょう。それでもイエス様はパウロの傍に立ち、力強い証だったことを認め、勇気を持って宣べ伝えるように励まし、次なる場所へと派遣されていったのです。
音声メッセージ
使徒言行録 22章22-30節
「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってもよいのですか。」

はたして神様は平等で公平なお方でしょうか。平等とは一律に等しいこと、公平とはえこひいきのないことです。神様が一人ひとりに与えられた人生、その区切りとなる死は誰しもおとずれるため平等です。しかし生まれ育った環境、身体能力、知能や才能はそれぞれ異なるため不平等とも言えます。神様による罪の裁きは公平に与えられることでしょうが、ある個人やある民族を選び、特別な使命を与えられるため不公平でもあるでしょう。
パウロは、ローマの市民権を持ち、当時の特権階級に属していました。そのパウロを神様は選び、異邦人に福音を宣べ伝える者として派遣されました。しかしユダヤ人たちはこの話を聞いた時に、激しく怒り拒絶したのです。例えるならば、自分が受け取っていた親の愛情が、他の子に奪われてしまうような感覚に陥ったのでしょう。しかし神様の選びは、恵みを自分だけで独占するのではなく、その人や民族を通して主の祝福と栄光が広がっていくようにとの願いが込められていました。それはアブラハムを通してユダヤ民族に、イエス・キリストを通して全ての人々へと広められました。このようにして神様の愛は全ての人々へ平等に注がれ、救いの道は公平に与えられているのです。
音声メッセージ
使徒言行録 22章1-21節
『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました。

相手に何事かを伝えたい時、言葉や文字や態度で示すことでしょう。特に言葉が重要となる場面の一つとして裁判の席が思い浮かびます。証人として見聞きした物事を伝えることも、誤解を晴らすために弁明しなくてはならない事柄も、命が不当に扱われている際には訴え出る必要もあることでしょう。
パウロはエルサレム神殿にいる人々に向かって、イエス・キリストを証します。それは空想ではなく、事実としてパウロに出会われたイエスを語るのです。出会いは人を変える力があります。キリスト者を迫害するための権限をもって派遣されたパウロが、逆にキリスト者に変えられた程です。神殿にいた人々はパウロのことを律法違反者であり、裏切り者だと思っていました。だからこそパウロは彼らに向かって弁明します。大切な人達とのすれ違いを解消するため、相手に共感し寄り添い、同じ土壌で育まれた共通の過去を振り返ります。その上で衝撃的な恵みとして与えられたイエスとの出会いを紹介し、救われた喜びによって変えられたことを語ります。その主によって新しい使命が与えられ、今度はキリスト者を迫害するためではなく、イエスを宣べ伝える者として異邦人の所に遣わされたことを証言していくのです。
音声メッセージ
