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執筆者の写真杉本拓哉牧師
ルカによる福音書 16章19-31節
「もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。」


花材/トラデスカンチア・ラッパ水仙・アンネのバラ 
花材/トラデスカンチア・ラッパ水仙・アンネのバラ 

 「死んだらどうなるのか」時代も地域も年齢も超えて、この問いに多くの人々が関心を寄せてきました。しかし死後の世界を語る人が居ても、99%は知ったかぶりか妄想か作り話でしょう。この問いに答えられるのは、いのちを創られた神様と、死んで生き返った者だけです。そして本当の事だったとしても、私たちには判別できません。最終的には各自に、どのように信じているのか委ねられています。死んだら終わりで、その先はないと信じる人もいます。亡くなったその後に、天国や地獄があると信じる人もいます。

 イエスは、金持ちと貧しいラザロの物語を通して、死後の世界があることを語ります。それはどうやら良いことをすれば天における祝宴へ、悪いことをしたら陰府に降るという因果応報ではないようです。問われているのは、自分の力で救いに至ろうとしたのか、神様に助けを求めて救われようとしたのかという一点です。あなたにとって何が一番の関心事でしょうか。自分の持ち物や、他者との比較かもしれません。その心を神様に向けて、方向転換することを悔い改めと言います。十字架で死なれ、復活された方の招きに応え、悔い改めてまいりましょう。


音声メッセージ

執筆者の写真杉本拓哉牧師
ルカによる福音書 13章1-9節
「御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。」

花材/猫柳・ヒマラヤ雪の下
花材/猫柳・ヒマラヤ雪の下

 東日本大震災から12年が経ちました。死者行方不明者22209名の命を悼みます。そして今なお「原子力緊急事態宣言」は発令中であり、廃炉作業は困難を極めています。トルコ・シリアの大震災も心が痛みます。ミャンマーの軍事クーデター、ロシアによるウクライナ侵攻、各地で争いと暴力が行われ、命が脅かされています。

 イエスの時代にも震災や人災がありました。人々の中には、何故このような悲しい出来事が起こるのか、神の裁きではないだろうかと考える人もいました。イエスは、事件や災害は因果応報ではないと語ります。そして全ての罪人を、悔い改めへと導くのです。

 それでもこのような現実の中で、神は一体何をしているのでしょうか。イエスはたとえ話を語ります。神が愛をもって耐え忍び、人々の悔い改めの実を待ち望んでいる姿です。神と人との間に立って、執り成し祈る姿です。心を耕し、肥料を与え、実を結ぶように期待して励ます姿です。だからこそ、裁きの時ではなく、恵みの時に、神様に向かって方向転換していこうではありませんか。イエス・キリストに目を注ぎ、隣人のために執り成しの祈りをささげてまいりましょう。


音声メッセージ

執筆者の写真杉本拓哉牧師
ルカによる福音書 9章18-27節
「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。


花材/シュロ竹・水仙
花材/シュロ竹・水仙

 誰しも悲しい報告は聞きたくないことでしょう。特に親しい方の余命宣告は込み上げるものがあります。「なぜこの人が」、「他に手段は無いのですか」、思いが錯綜します。その後に言葉が続いたとしても、ショックで頭に入ってこない場合があります。そして全てが終わった後、まるで再び出会ったかのように、声が響いてくることもあるでしょう。

 イエスは死と復活を予告します。弟子たちにとってみれば、予想もしなかった驚きの出来事です。イエスを救い主と信じ、ますます活躍されることを期待していた所だったからです。しかもイエスの語る死は、宗教的指導者たちによって排除され苦しめられた末に起こると言うのです。更に弟子たちに向かって「ついて来たい者は、日々自分の十字架を背負って従うように」と招きます。好んで苦しい道を通る人などいません。それでも弟子たちは後に、イエスの十字架の死と復活を目の当たりにし、告白していくのです。「イエスの十字架は、私の罪の贖いだった」と。イエスを信じる者たちは自分の十字架を背負います。十字架に自分の罪の赦しがあり、イエスこそ私の救い主だと告白し、日々主に従っていくのです。


音声メッセージ

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