ヨハネによる福音書 5章1-18節
イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」 すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。
最近ゆっくり休めていますか。ある芸能人が大人気だった当時を振り返り、理由もなく涙が溢れることが多々あったと語っていました。忙しく過ごしていると、心や体から限界のサインが出てきます。現代は子どもから大人まで忙しい日々を過ごしていますが、私たちには休みが必要です。
聖書には、神様が6日間で天地を創り、7日目に休まれたと書かれています。そして、エジプトの奴隷状態から解放された民は、7日目を「安息日」として神様のために取り分けて、仕事をしないように定められました。イエスは安息日に、38年間も病に苦しんでいた人を癒しました。この病人は、癒しを求めていましたが、期待しても叶えられない日々に落胆し、誰も助けてくれないと嘆いていました。イエスはこの人の痛みに寄り添い、「良くなりたいか」と語りかけ本質に目を向けさせます。そしてこの人が、主の言葉に聞き従う中、驚くべき癒しの業が成し遂げられていったのです。それは病に苦しみ、根拠のない言い伝えに縛られ、孤独にさいなまれていたこの人が解放される時となりました。主のもとに安息があります。主が遣わされるその場所に、床を担いで歩いていきましょう。
音声メッセージ
エレミヤ書 30章8-24節
わたしはお前を正しく懲らしめる。
あなたにとって神様とはどのような方ですか。色々な言葉で表現されることでしょう。愛なる方、共に居てくれる方、正義の方、救い主、約束を守られる方・・・他にも、ねたむ神、万軍の主、平和の神、裁き主などとも呼ばれています。それは一人一人に出会って下さる神様の一面なのでしょう。
裁きと救いは相反する性質として、私たちは認識しているかもしれません。しかし驚くべきことに、聖書の中には、神様の裁きと救いが組み合わさって書き記されている箇所があります。神様はまるで手術のように、自分でもどうしようもない罪を裁いてくださるのです。医者が病人から病を切り離すように、神様は罪人から罪を切り離してくださいます。人にこびりついた罪を切り離す時、血は流れ、痛みが生じます。しかし、病が切り離されたら癒しが待っているように、罪が切り離されたら回復へと繋がっていきます。だからこそ、裁きと救いは組み合わさって、福音となります。裁きだけに目を留めて恐れるのではなく、救いだけに目を留めて自由をはき違えるのでもなく、裁きと救いを成し遂げてくださる主と共に歩んでいこうではありませんか。
音声メッセージ