詩編 111編1-10節
ハレルヤ。わたしは心を尽くして主に感謝をささげる
漫画や小説において、仲間の誰かが敵に囚われてしまった時、残されたメンバーは全力で助けに向かうことでしょう。もしも自分がピンチに陥っても、助けてくれる仲間がいるという信頼は、安心感に繋がります。だからこそ仲間が捕まれば自分も痛み、仲間が助かれば自分も解放されたように喜びます。聖書が描く共同体の価値観も似た部分があります。
イスラエルの人々は昔、エジプトの国で奴隷だった時代がありました。そのような状況から、主が救い出してくださった。それが『出エジプト記』です。この詩編の作者は、それから約800年後、バビロン捕囚から解放された時代に生きていました。その経験の中で、自分達の身に起こった救いの御業と、出エジプト記の救いの御業とを重ね合わせるようになりました。聖書の物語が、今を生きる自分達の出来事となっていったのです。そして受け取った恵みと喜びを、主への感謝として、心を尽くして告白しています。自分達が今、生かされているのは自分達の力ではなく、神様の恵みである。それは自己中心の価値観から、神中心の価値観へと変えられた驚くべき御業です。主を大切に、お互いを大切に、共に生かされていくように招かれているのです。
音声メッセージ
コリントの信徒への手紙一 16章1-24節
目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。何事も愛をもって行いなさい。
「戦争のつくりかた」という絵本が2004年に出版されました。これは、日本が戦争へと近づいているのではないかと思わされた人達によって製作された絵本で、アニメにもなっています。驚くべきことに、絵本に描かれている戦争への体制づくりが、着々と政府の法案として進められてきています。自分さえよければ、という価値観の極地が戦争です。もし戦争の未来を拒むのであれば、ちゃんと目を覚まして、今を見る必要があるでしょう。
それは日々の歩みでもあります。イチローは高校生達に全力で基礎に取り組む一歩一歩を教えます。三日間かけて、共に練習し、語り合い、背中を見せます。そして最後に「ちゃんとやってよ。…見ているから。」とメッセージを残しました。そこには期待が込められています。
パウロも手紙の最後に「目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。何事も愛を持って行いなさい。」と、まとめの言葉を語ります。それは、自己中心的な道からの解放です。イエスによって分かち合われた、隣人と共に生きる道です。主が来られる日を待ち望みつつ、主の愛に生かされてまいりましょう。
音声メッセージ
コリントの信徒への手紙一 15章12-22節
しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。
私たちのいのちは、「死んだら終わり」なのでしょうか。いのちや死について、古今東西、人々は関心を持ってきました。将来に希望を持ちにくい時代には、今さえ良ければ自分さえ楽しければという考え方が流行ります。一方では延命することに躍起になる人がおり、もう一方では生きることに疲れ果て死を選ぶ人もいます。同じ大切ないのちなのに、極端にされている時代を、私たちは生きています。
聖書には、福音(GOOD NEWS)が記されています。イエス・キリストは周りから妬まれ、仲間から見捨てられ、裁判官の保身により、十字架につけられて死にました。十字架には、自己中心的な人の罪が現れています。それと同時に、罪を引き受けられたイエスの救いが現れています。神様からも見捨てられたと思うような絶望においても、イエスだけは寄り添ってくださいます。誰しも虐げられる時、いのちの価値を見出せなくなるでしょう。それでも主は、あなたは高価で尊いと招くのです。イエスは死んでまでも、人々に連帯しました。そのイエスを神様は復活させました。復活のいのちを共に生きるように人々と連帯するためです。ここに死を越えた希望があるのです。
音声メッセージ