コリントの信徒への手紙一 15章1-11節
最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。
戦争を体験した第一世代から、『平和宣言』というバトンが、第二世代、第三世代へと手渡されてきました。改めて1947年の『平和宣言』を見てみると、当事者としての声がありました。戦争の痛ましい苦しみと罪と悪を自覚した者による、戦争の根本的な否定と、熱烈に平和を求める決心が語られています。それは日本だけに留まらず、世界平和への宣言です。
このバトンを繋げていくためには、どこまでも自分事として捉えていくことが重要です。第二世代、第三世代も、当事者としての決心がなければ、次の世代には伝わらないでしょう。それは信仰においても同様です。
「イエス・キリストは私たちの罪のために死なれ、墓に葬られ、三日目に復活しました。」教会はこのバトンを2000年間、宣べ伝えてきました。自分の罪を知る時、自分ではどうしようも出来ない絶望と同時に、赦される喜びを味わいます。そして死で終わりではなく、そこにまでイエスが降られたからこそ、人々に希望が与えられました。復活して今も生きておられるからこそ、私たちと共にいるという約束が実現しているのです。大切な福音のバトンを、大切な隣人へと手渡してまいりましょう。
音声メッセージ
コリントの信徒への手紙一 14章1-5節
愛を追い求めなさい。
江波にある「シュモーハウス」に行ったことはありますか。シュモー氏とは一体どのような人物だったのでしょう。彼は、原爆投下のニュースを聞き、自分事として受け止めました。そしてこのような悲しみを二度といかなる国民にも繰り返させないために、自分の力と能力を注ぐことを決心しました。具体的には、自分の手で、自分の懐をいためたお金で、原爆で家を失った家庭のために家を建てました。その意図は、戦争により与えられた多大なる苦難に対し、真心より無念に思う多くのアメリカ人の悔い改めのしるしでした。建設現場にはプロジェクトに込める思いが記されました。①お互いを理解し合い②家を建てることによって③平和が訪れますように。祈平和。
建物を壊すのは一瞬ですが、建て上げるには時間がかかります。神と人・人と人・人と自然界との関係も同じでしょう。お互いを理解し合い、関係を築いていくためには時間も必要です。しかし、心無い言葉や暴力によって、関係はあっという間に崩れてしまうものです。それでも諦めることなく、相手を想い合い、共に生きる中に、愛が現わされていくのです。主の平和を祈り求めてまいりましょう。
音声メッセージ
コリントの信徒への手紙一 12章31-13章13節
信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
「道」という言葉は、人生をたとえる時にも用いられます。順風満帆な時もあれば、道を間違えてしまうこともあるでしょう。山道や、雪道、茨道を進むこともあるかもしれません。分かれ道に立つ時に、私たちは何を基準に決めていくでしょうか。後悔なく歩みたいものです。
聖書は「最高の道」について教えます。それは、自分が何をどれだけ出来たか、という成果で判断されるものではありません。どのような心でおこなったのかが問われ、そこに愛があるのかどうかが、唯一の指標となるのです。「愛は忍耐強く、情け深く、ねたまず、自慢せず、高ぶらない。…」私たちが愛をイメージする時、高価なプレゼントや旅行などに目が留まりがちです。しかし神の愛は、どのような心で共に生きるのかが大切なのです。
「神は愛である」と聖書は語ります。愛という言葉をイエス・キリストに置き換える時、最高の道は明らかにされていきます。私がという主語から、イエス・キリストが私を通して何をされるのかと視点を変えていく時に、神の愛はあらわされていきます。私の道が、イエス・キリストの道へと変えられていく。ここに「最高の道」があるのです。
音声メッセージ