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執筆者の写真杉本拓哉牧師

マルコによる福音書 1章35-39節

朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。



花材/青木・ストック・タマシダ
花材/青木・ストック・タマシダ

 私たちはどのような時に祈るでしょうか。「苦しい時の神頼み」という言葉のように、思いがけないトラブルや、自分の力では成し得ない困難な状況、特に命の危機を前にした時、神様に助けを願い求めるのかもしれません。それはキリスト教に限らず、他の宗教においても同様でしょう。そのため、祈りとは自らの欲求を満たすための行動であると、誤解されているように思います。

 多くの信仰者が祈りについて、畏れつつ言葉にしています。祈りとは、イエス・キリストとの一致である。祈りによって、神の愛を知り、喜びにあふれる。祈りという沈黙の中、神は語られる。祈りを通して、神を信頼する。祈りは、素直な心で委ねること。祈りによって、仕えていく愛と情熱をイエスからいただく。

 イエスは祈られました。祈りを後回しにせず優先事項としています。時間と場所を確保し、神様とのコミュニケーションを大切にしました。そしてイエスは、使命に立ち返ります。自分のもとに来ることが出来ない人々の所にまで、自ら出かけて行ったのです。主によって遣わされて行ったのです。私に出会ってくださったイエスは、今度は隣人にも出会いに行こうと招いておられるのです。


メッセージ音声ファイル

執筆者の写真杉本拓哉牧師
マルコによる福音書 1章21-34節
イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。

花材/南天・白百合・ドラセナ

 健康は大切です。しかし大事にしていても、時には、風邪をひいてしまうこともあります。それは緊急的なアラート(警報)ですので、心や体が発している声に耳を傾けていきましょう。しかし、分かっていても休めない、というのが私たちの生きている現実かもしれません。それでも、体や心の声を無視してしまうならば、思い通りには動けません。無理をしては回復も遅くなり、悪循環に陥ってしまいます。

 聖書では、汚れた霊に取りつかれた人や、高熱の病人がイエス・キリストと出会います。悪霊憑きとの出会いでは、問題を切り離すように悪霊を追い出すことで解決へと導きます。そして共に礼拝を献げました。高熱の病人との出会いでは、相手の寝室という隠された所にまで出向き、直接触れていやしました。そしていやされた人が献げる心からの奉仕を、イエスは受け入れます。イエスとの出会いによって、人々は変えられていきます。いやされるという出来事を通して、何よりも神様と人との関係が回復しているのです。霊の世界と人の世界の両方で力と自由を持っておられる主が、私たち一人ひとりと出会い、いやしてくださいますように。


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執筆者の写真杉本拓哉牧師
マルコによる福音書 1章16-20節
「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」

花材/蝋梅・サザンカ・水仙
花材/蝋梅・サザンカ・水仙

 AKB48は『会いに行けるアイドル』をキャッチフレーズにしています。今までのアイドルはテレビの向こう側、手の届かない距離に居ました。憧れの存在であり、もしも出会えたならば、人に伝えたくなる程の喜びだったことでしょう。

 2000年前、洗礼者ヨハネは「罪の赦しを得るように、神様に立ち返りバプテスマを受けなさい」と語りました。人々は町々から集まります。ヨハネは『会いに行ける預言者』でした。

 イエス・キリストは、人々の生活の場にまで出向かれました。普通の人々が仕事をしている日常をご覧になり、「私について来なさい」と招きます。イエスとの出会いは、変革を及ぼします。あなたにとっての『神』が目の前に現れ、あなたを見つめ、あなたに呼び掛けている。一体どれほどの喜びでしょうか。それだけではありません。もし「私に会いたければ、天の国においで」と言われても、困ってしまうことでしょう。そのような私たちのために、イエスは自らこの地上に来られました。今日もイエスはあなたと出会うために、日々の生活の只中にまで来てくださっています。まさにイエスは『会いに来られた救い主』、何度でも豊かな出会いが与えられますように。


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