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創世記 22章1-18節
アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。

花材/薔薇・蝋梅
花材/薔薇・蝋梅

 私たちは他の人の痛みに鈍感です。その出来事が自分の身に降りかかる時にようやく、全く同じではないにせよ、相手の痛みに寄り添うことが出来るのではないでしょうか。今日の箇所は、愛する家族を失う物語です。

 アブラハムは、子どもを献げるという道を通らされました。「神様が与えてくださった、愛する子どもを、神様が求めるならば献げよう。それでも神様ならば、どんな状態からでも命を与えてくださるに違いない。」祈りと願いを込めて息子イサクに手をかけようとした時、神様はアブラハムを呼び止めます。アブラハムの心を神様は受け取り、イサクの命を再び与えました。理解出来ないと、多くの人が躓く箇所です。

 聖書は「イエス・キリストが私たちの罪のために十字架で死なれた」ことを語ります。イエスは神様の愛するひとり子です。親が子どもを失う痛みを、神様は最後まで引き受けられました。神様は全ての痛みに寄り添います。私たちに命を与えるために、私たちの罪を引き受け、私たちの代わりに死なれた。クリスマスの喜びと、十字架の贖い、イースターの希望は、全ての人々へ注がれる神の愛なのです。



メッセージ音声ファイル

執筆者の写真杉本拓哉牧師
ルカによる福音書 2章1-21節
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

クリスマスツリー

 「クリスマスは恋人と過ごす日」と考える人も多いでしょう。しかし、キリスト教の国では「クリスマスは家族と過ごす日」という理解が多数です。なぜ日本で「恋人の日」になったのかと調べると、どうやら1983年に発行された雑誌の特集から始まったようです。教会では、雑誌で取り扱われる以前から、クリスマスをお祝いしています。年齢によらず、性別によらず、皆で礼拝をささげています。それは、クリスマスはカップルだけに限らず、皆にとっての喜びの知らせだからです。

 世界で初めのクリスマス。約2021年前イスラエルの国において、一人の赤ん坊が産まれました。若い夫婦はお金もなく、居場所もなく、家畜小屋で身を休ませていました。そのような劣悪な環境の中、イエス・キリストは産まれたのです。社会の片隅に追いやられて、人扱いされず、人権を無視されていた人々に連帯するかのように、幼子は飼い葉おけに寝かされました。もしも王宮でイエスが産まれたならば、集える人は権力者だけに限られます。救い主は全ての人のために来られました。誰でも集えるように、一番低い所にまで降られた。私たちと出会うために、汚れて臭う場所にまで降って来られたのです。


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執筆者の写真杉本拓哉牧師
イザヤ書 51章1-16節

わたしの民よ、心してわたしに聞け。 …

わたしは瞬く間に/わたしの裁きをすべての人の光として輝かす。

 あなたにとって神様は、遠い存在でしょうか?それとも近い存在でしょうか?聖書が語る神様は、関係性を大切にされます。人間関係と同様に、神様は一人一人と関係を結びます。『わたし』と『あなた』という直接的な交わりを大切にします。目で見て触れ合える程に、神様は人々に近づいて来られました。そしてこの地上に降って来られた。神様と人間との決定的な出会いが、クリスマスの出来事なのです。

 信頼は、お互いに約束を守ることによって築かれていきます。イスラエル民族は、自分に対して神様がどのように関わられたかというスケールに留まらず、祖先まで遡って神様の約束を思い起こします。祖先であるアブラハムとサラは、自分達のタイミングではなく神様の時に、約束の子供イサクが与えられました。エジプトの奴隷として虐げられていた時にも、神様はイスラエル民族を見捨てませんでした。過去を振り返る時、神様が救ってくださった歴史が続いている。過去に救ってくださった神様は、未来においても救いの約束を与えられる。そして今も共に生きてくださる神様の姿が、聖書には描かれています。今、どのような状況であったとしても、救いの光は輝いているのです。



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