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執筆者の写真杉本拓哉牧師
詩編 30編2-13節
あなたはわたしの嘆きを踊に変え
粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。

花材/小手毬・鳴子百合・ばら
花材/小手毬・鳴子百合・ばら

 『賛美』とは何でしょうか。普通の歌と何が違うのでしょうか。ヘブライ語では7種類もの言葉で賛美を表現しています。①褒めたたえる、②手を挙げて感謝を表す、③音楽を用いて誉める、④叫び求める、⑤未来に期待してたたえる、⑥即興的に歌う、⑦喜び踊る。私が考える賛美における大切なポイントは、方向性です。神様に向いているかどうかが、賛美とそれ以外の歌とを分ける指標ではないでしょうか。逆に、演歌であってもポップスであってもロックであっても、神様に向かう時に賛美になり得るのです。


 では、私たちはどのような時に『賛美』するのでしょうか。物事が上手くいっている時は自らを誇り、悲しみの出来事に直面すれば神は居ないと判断してしまう。神様は人間にとって都合のいい道具ではありません。また神様は人間を道具として扱いません。人格(神格)を持った存在です。私(神様)とあなた(人間)という交わりを重視します。高ぶる者には躓きを与えて向き合い、絶望の淵にいる人には希望を示して向き合う。その時、躓きも希望も、神様との出会いの機会となるのです。神様へ方向転換する機会になる。神様との交わりによって『賛美』へと変えられていくのです。

執筆者の写真杉本拓哉牧師
マタイによる福音書 28章1-10節 
あの方は、ここには居られない・かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。

花材/庭木・しゃが・君子蘭
花材/庭木・しゃが・君子蘭

 キリスト教の理解困難な教えの一つに、イエス・キリストの「復活」があります。私たちの経験では、復活を目にしたことはありません。イエスと共に過ごし、前もって復活することを聞いていた弟子たちですら信じることが出来ませんでした。そのため、イエスが捕まり十字架に架かり死んだ時、弟子たちは絶望したのです。

 弟子の女性たちが、死臭を抑える香油を塗るためイエスの墓にやってきます。イエスとのお別れのためにやってきたのです。しかし、遺体があるはずのその場所には、空っぽになった墓だけが残されていました。天使が女性たちに語りかけます。「あの方は死者の中から復活された。」誰一人として復活の様子を見た人はいません。イエスの亡骸が置かれた墓の中、神様だけが共にいたのです。その後、復活のイエスは私たちの日常で出会い挨拶を交わされる。何が起きたのか、どのように起こされたのか、人には明かされないままに。弟子たちの目の前に現れ、会話し、触れ合う。主は今も生きておられる。死が終わりではなかった。悲しみから喜びへ、絶望から希望へと変えられる。人には不可能なこの奇跡がイエス・キリストの「復活」なのです。

執筆者の写真杉本拓哉牧師
マタイによる福音書 26章47-56節
まるで強盗にでも向かうように、剣や棒をもって捉えに来たのか。

花材/黄梅・アルストロメリア
花材/黄梅・アルストロメリア

 私たちは多くの場合、『敵』か『味方』という尺度で判断しているのではないでしょうか。そして『敵』に対して、力(経済力・権力・武力)によって支配する場面を見ることがあります。2000年前も同じでした。

 イエスの人気に、宗教指導者たちは嫉妬し、ついに不当な手段で逮捕に踏み切ります。大量の人員と武器を用意して、イエスと弟子たちを追い詰めました。イエスの悲しみはどれほどだったことでしょう。弟子の一人であるユダが、宗教指導者たちの側に立ち、イエスを引き渡そうとしていました。しかし、イエスはユダに対して「友よ」と語り掛けます。危機的状況に陥っている他の弟子たちは、裏切り者に対して怒りを覚えたことでしょう。そしてユダを「友」と呼ばれるイエスに対しても躓きました。それでもイエスを守ろうと、弟子は剣を振るって大祭司の手下に攻撃します。しかし、イエスは弟子に剣を下ろすように命じられ、自ら捕らえられてしまう。

 弟子たちはどうしようもなく、イエスを見捨てて逃げ出します。イエスは自ら捕まることによって、弟子たちの命を、宗教指導者たちの命を、保たれたのです。『敵』や『味方』を越えて『友』となる、イエスの愛がここにあります。

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