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執筆者の写真杉本拓哉牧師
マタイ4章18-25節
イエスは「わたしについてきなさい来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」と言われた。
二人はすぐ網を捨てて従った。

花材/あおき・ストック・ドラセナ・カランコエ・葉ボタン  
花材/あおき・ストック・ドラセナ・カランコエ・葉ボタン  

 ガリラヤ地方にある湖のほとり、そこで漁をしていた4人の若者がいました。イエス様は呼び掛けます。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」その言葉に聞き従い、4人はイエス様の弟子になりました。彼らにも養う家族がいました。不安や戸惑いもあったことでしょう。それでも彼らはイエス様を信じ、従っていきました。


 ガリラヤ地方にある湖のほとり、そこでイエス様達は伝道活動を始めます。チームで伝道の働きを進められたのです。①留まらずに歩き回り、人々と出会い続けました。②礼拝の場所・教育の場所・裁判の場所であるシナゴーグで聖書を語りました。③「天の国が近づいた」という良い知らせを伝えました。④身体の痛み、心の痛み、魂の痛み、社会的な痛みに寄り添い、その痛みを癒していきました。その姿を通して、多くの人々がイエス様を信じ、従っていきました。

 今でも同じことが言えるのです。イエス様が私のところにまで来られた。招いてくれて、教えてくれて、福音を語り、癒しの手を差し伸べてくれた。だからこそ、この恵みと喜びを隣人に分かち合っていきたい。一人ではなくチームで協力しながら、伝道の働きが繋がっていくのです。

執筆者の写真杉本拓哉牧師
マタイ4章12-17節
暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が差し込んだ  
花材/枯れすすき・新種百合・シャコバサボテン
花材/枯れすすき・新種百合・シャコバサボテン

 イエス・キリストによる初めのメッセージ、それは「悔い改めよ。天の国が近づいた」という呼び掛けの言葉でした。これはバプテスマのヨハネから引き継いだ言葉です。しかし、同じ言葉でも、ヨハネとイエスでは内容に違いが出てきます。『天の国は近づいた』とヨハネが語っても、ヨハネ自身が天の国を動かすことは出来ません。その時が近づいてきている事を預言したのです。天の国とは、神様が王様として支配する王国です。王様は王子を代理人として派遣します。神の子がこの世に生まれたクリスマス。天の国の権威を持つ方が、地上の国にまで降って来た。イエスが「わたしのもとに来なさい」と語る時、それは天の国への招待です。まさに『天の国は近づいた』のです。

『悔い改めよ』とヨハネが語る内容は、過去に犯した罪の告白と、神へ焦点を向けることの招きです。しかし、神様がどこにいるのか分からなければ焦点を合わせることが出来ません。『悔い改めよ』とイエスが語るのは、私たちと一緒になって、神様のもとに連れていくためです。まるで迷子の子どもが親の居る場所を分からなくなってしまった時に、子どもを見つけて一緒に神のもとに立ち帰るために、イエスは派遣されたのです。

執筆者の写真杉本拓哉牧師
マタイ3章13-17節
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が。天から聞こえた。

花材/ローズマリー・新種百合・千両
花材/ローズマリー・新種百合・千両

 キリスト教が大切にしている礼典(儀式)に『バプテスマ』があります。

 バプテスマとは元々、浸す・洗う、という意味の言葉です。バプテスマのヨハネは「悔い改めなさい」と人々に呼び掛け、罪を告白する人々にバプテスマを授けました。ヨルダン川で人々に対して、『一度水に沈めた後、水から起き上がらせ』=バプテスマを授けたのです。バプテスマの儀式を通して、罪人としての命は死に、罪が洗われて、新しい命に生かされることを表現しました。


 イエス・キリストもまた、ヨハネからバプテスマを授かります。しかしこの出来事は、大きな問いを生みました。果たして、イエスには罪があったのでしょうか。悔い改めることがあったのでしょうか。…イエスは誕生後すぐに、イスラエルからエジプトに逃避します。そして再びエジプトからイスラエルに戻ってきます。イスラエル民族の歴史を、まるで辿っていくかのように歩まれました。人々の歴史を、私の歴史だと受け止められた。

 人々の罪を、私の罪だと告白された。人々と共に、神様のもとに悔い改めた。イエスのバプテスマは、罪人に連帯して生きるという決心です。そして私たちのバプテスマは、イエスに連帯して生きるという決心です。

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