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ヤコブの手紙 4章1-10節
あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。



花材/蘇轍・白百合
花材/蘇轍・白百合

 なぜ平和という事柄でさえも、心を一致することは難しいのでしょう。その理由は、私たちの心にあるように思います。この人がいたら安心できないという恐れが分裂を引き起こし、個々人にとっての正義がぶつかり合ってしまうからです。果たして、混乱の原因を取り除けば、平和はもたらされるのでしょうか。そうではないことは歴史が証明しています。ナチス・ドイツは優生思想を推し進め、権力側の都合で、弱い立場の人々を排除していきました。初めは共産主義者を、次に社会主義者を、学生を、ジャーナリストを、ユダヤ人を、そして教会を弾圧しました。支配領域は欲望と共に、無制限に拡張します。

 戦いや争いから私たちは無関係ではいられません。私たちの心の内に欲望があり、他者を排除してでも入手したいという願いが湧いてしまうからです。それが自己中心という罪です。切り替えていく必要があるでしょう。目線と心を、自分から神様へと方向転換する時、神様も近づいてきてくださいます。隣人の悲しみに心を寄せる時、主の慰めを共に味わうことになるでしょう。神様を愛すること、また自分を愛するように隣人を愛すること、主の愛の内に平和は築かれるのです。


音声メッセージ

ヨハネによる福音書 20 章 24-29 節
「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

ヨウシュヤマゴボウ・ゼラニウム
ヨウシュヤマゴボウ・ゼラニウム

 本日の話はヨハネ福音書におけるトマスのエピソードについてです。トマスは復活したイエスに会うまで信じないと宣言しましたが、イエスが現れて手の傷を見せると信じるようになりました。このエピソードを通じて、信じることの難しさと重要性を考えます。現代の私たちも信仰に疑念を抱くことがありますが、キリストの導きによって信じる者となることができるのです。

 信仰は神の働きと個人の決心によるものであり、私たちも日々の生活の中でキリストの存在を再確認し、新たな信仰の一歩を踏み出すことが大切です。トマスの「確かめるまでは信じない」という態度は、信仰が単なる過去の物語ではなく、現在の生きた実感としてあるべきだということを示しています。神は私たちを信じる者とし、キリストとの関係を新たにしてくださいます。この礼拝にいる私たちが証拠です。キリストを証明します。様々な場で、私たちは神の導きを感じ取り、信仰を新たにし続けることが求められています。


奥田悟神学生


音声メッセージ

使徒言行録 28 章 16-31 節
『この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。』


オリヅルラン・小海老草
オリヅルラン・小海老草

 大切なことを伝えても届かないことがあります。心を込めた言葉であっても、会話のスタンスが説得であれば拒絶される可能性が増すでしょう。相手の側では、自分で納得して選んだという感覚が乏しくなり、押し付けられたと思うからです。もしもご近所さんにスーパーの特売品を紹介したら、喜びが分かち合われるかもしれません。もしも子どもに食事をするように促しても、席に着かないかもしれません。相手の主体性が重要となります。

 パウロはユダヤ教の人々に福音を宣べ伝えて説得しますが、届く人と受け入れない人が出てきます。その状況を旧約聖書から引用して「心が鈍くなっている」と表現します。原文では「心が肥えて太っている」という意味が含まれます。満腹では食欲が湧きません。神様に対する飢え渇きがなければ、主を求める心に繋がらないのです。気持ちが変わるには時間が必要でしょうし、美味しそうに食べる隣人がきっかけとなるかもしれません。教会ではこれを証と呼びます。証ではそれぞれの出来事を通して、主にある喜びを味わい伝えます。聖霊なる神様によって一人ひとりは用いられ、世界中に主の福音が分かち合われ、届けられていくのです。


音声メッセージ

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