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使徒言行録 25 章 13-27 節
このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。

グラジオラス・コエビソウ・紫陽花
グラジオラス・コエビソウ・紫陽花

 ホロコーストから生還したフランクルは「夜と霧」を執筆しました。彼曰く、死が身近な極限状況では、未来に対して生きる意味を見出しているかどうかが問われます。希望や使命がいのちを輝かせると言えるかもしれません。現代もまた、生きることが困難な世の中であり、自分一人では限界があります。心を神に向け希望を持つこと、神から働きを託されて使命に生きること、関係性の中にある命のモデルが聖書に記されています。

 パウロは無実の罪で捕らえられ、政治の道具として扱われ、二年間も監禁されていました。裁判を担う総督が、正義や真実や良心によって判決を下すのではなく、権力者の都合に合わせた裁きをしていたからです。目を背けたくなるような人の汚さやズルさも、聖書は記述しています。ただしそれだけではなく、苦しみの中にあっても輝くいのちの光が証しされています。パウロが見出していた希望は、イエス・キリストの復活でした。彼の証言には、救い主によって罪の死から救いだされた喜びで溢れています。このようにしてイエスの名前は、パウロを通してローマ総督やユダヤの王にまで届けられました。それは人の計画ではなくパウロに与えられた神様の約束であり使命だったのです。


音声メッセージ

使徒言行録 24 章 1-27 節
「こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。」


アマリリス・ミニヒマワリ・アイビー
アマリリス・ミニヒマワリ・アイビー

 

 沖縄では 6 月 23 日を「慰霊の日」とし、命こそ宝であることを覚えています。この言葉の背後には、79 年前に起こされた戦争において、命が軽々しく扱われた過去があります。日本本土での決戦前の時間稼ぎとして戦いは始まり、敗戦濃厚な状況では日本兵から沖縄県民へ集団自決の命令が下されました。戦後、本土の安全保障のために沖縄はアメリカに差し出され、本土復帰した後も現在に至るまで米軍基地という負担は続いています。命の価値に上下はありません。命を道具扱いし、差別し、軽んじてよい理由など、どこにもないのです。もしも私たちが組織を維持するために、誰かの痛みに鈍感に無自覚になるのであれば、戦争の過ちを繰り返していることになるでしょう。

 パウロはローマ総督の前で、大祭司と長老たちの訴えにより裁判にかけられます。弁護人は、パウロがどれだけ危険人物か、ユダヤ教の正統派ではなく分派を教え、神殿を蔑ろにしていると訴えます。パウロは全てに反論し、総督はパウロの罪を見出しません。しかし総督はユダヤ議会の好意を得るため、2 年もの間判決を引き延ばしていったのです。道具扱いして良い人間などいません。命を慈しむ主の目が共に見ておられるのですから、良心に従って生きていこうではありませんか。


音声メッセージ

創世記 22 章 1-19 節
アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。


花材/紫陽花・ヒメヒオウギズイセン
花材/紫陽花・ヒメヒオウギズイセン

 旧約聖書はキリスト教・ユダヤ教・イスラム教に共通する聖典です。登場人物の一人であるアブラハムは“信仰の父”とも呼ばれ、信者のモデルとも言えるでしょう。彼の信仰が際立つエピソードとして、自分の愛する息子を神様に捧げる決心をした場面があげられます。しかし、自分事として捉える時、これ程受け入れがたい要求はありません。子どもの命を取り、祭壇で燃やし尽くすという内容だったからです。

 アブラハムが 100 歳、妻のサラが 90 歳に至るまで、子どもは与えられませんでした。神様が約束しても、そんなことは有り得ないと夫婦は笑いました。その二人の間に息子イサク(意味:笑う)は誕生します。そしてある時、そのイサクを捧げよと主は願われました。アブラハムは納得したわけではなかったでしょう。それでも従っていったのは、自らの理解を超えて御業を成し遂げられる、神様への信頼と祈りです。このアブラハムの信仰に主は応えられ、息子の代わりとして雄羊が用意されていたのでした。旧約と新約は重なり合う部分があります。イエス・キリストの時、愛する神の独り子は、汚れなき小羊として捧げられました。この世を愛し、人々を救うため、主の御業は成し遂げられていったのです。


久留米キリスト教会 踊真一郎師


音声メッセージ

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