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執筆者の写真杉本拓哉牧師
コリントの信徒への手紙一 9章1-23節
福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。


花材/カラー・グロリオーサ
花材/カラー・グロリオーサ

 子どもが暴力をふるってしまった時など、他者の気持ちを考えられるように「自分がされたらどう思う?」と語りかけることがあります。その時、「お母さんが他の人から叩かれたらどう思う?」と、その子にとって大切な存在に置き換えることで、イメージしやすくなるのだそうです。私たちも無関心に陥っていないか問われることがあります。軍事政権が支配しているミャンマー、ロシアによるウクライナ侵攻、原発事故が収束せず家に帰れない福島、ニュースにならなくても痛みを覚えている人は沢山います。大切な人が当事者でなければ、その痛みに無関心なままで良いのでしょうか。

 パウロは一人ひとりに寄り添います。その人のように生き、弱さをも含めて隣人になりました。パウロの行動原理は、イエス・キリストの福音にあります。福音は、自分だけで完結するものではなく、隣人と共にあずかるものです。神の子であるイエスが、すべての人を得るために、人の子となられました。主は全てのいのちの生と死に伴い、全ての痛みに当事者として連帯し、今も生きて働かれています。その主が一人ひとりの歩みに寄り添い、隣人と共に生きるようにと招いておられるのです。


音声メッセージ

コリントの信徒への手紙一 8章1-13節
知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。


花材/ピラミッド紫陽花・グロリオーサ・鳴子百合
花材/ピラミッド紫陽花・グロリオーサ・鳴子百合

 日本は議論の訓練がされていないと言われることがあります。議論というのはそれぞれの主義主張を分かち合うものです。その中では意見に対して、批判されることも賛同を得ることもあるでしょう。議論の訓練がされていない場合、意見を批判されると、人格が否定されたのではないかと勘違いを起こすことがあります。しかし、そうではありません。議論そのものを検討し合い、お互いに気付かなかったところを補い合うことで、建設的な話し合いとなるのです。議論の前提として、自分の意見を持ちながらも絶対的なものとはせず、相手への愛を抱きつつ対話に開かれていることが求められます。

 キリスト教などの一神教は、他の宗教を否定しているため寛容ではないという意見がありますが、正確な表現ではありません。キリスト教の中でも、①排他主義②包括主義③宗教多元主義とそれぞれの主張には違いがあります。自分の思いを大切にしながら、他者の意見も尊重できるような議論が求められています。交わりを造り上げる愛に根差し、共に生きるために、お互いの主義主張を豊かに分かち合ってまいりましょう。


音声メッセージ

執筆者の写真杉本拓哉牧師
コリントの信徒への手紙一 7章17-24節
兄弟たち、おのおの召されたときの身分のまま、神の前にとどまっていなさい。

花材/とくさ・黒立葵・紫陽花・鳴子百合
花材/とくさ・黒立葵・紫陽花・鳴子百合

 今まで誰かに呼び出されたことはありますか?例えばデパートで子どもが迷子になった時、学校の先生や先輩からの用事、会社の上司からの指令、病院の受付などで、あなたの名前が呼ばれることがあるでしょう。少しの不安と期待を抱きながら、呼び出された場所に向かいます。

 新約聖書の多くの手紙を書き残したパウロもまた、神様から名前を呼ばれた一人です。彼はユダヤ教のエリートでした。当時のイスラエルを支配していたローマの市民権を持ち、社会的な地位もありました。しかし彼は今までの経験や、積み重ねてきた立場を捨て去ったのです。イエスを宣べ伝えていくために、イエスにのみこだわりました。そして教会の人々に呼び掛けるのです。「主から与えられた分に応じて、神の召された身分に留まっていなさい。」奴隷でも、ユダヤ人でも、ローマ人でも、神はそのままに招いてくださり、主による自由が与えられています。身分に留まるとは、現状維持を求められているのではありません。そうではなく、神に招かれ続けているという立場に留まるのです。人と比べるのではなく、そのままで主に応えて歩み続けるように、あなたの名前が呼ばれています。


メッセージ音声ファイル

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