コリントの信徒への手紙一 4章1-16節
人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。
商売哲学に「三方よし」があります。売り手・買い手・社会貢献の三つの視点から見た時に「良い」ものでなければ続けられなくなるでしょう。しかし、世代交代や状況の変化によって、本来の目的を忘れてしまうことが起こり得るのです。その結果、自分(自分達)さえ良ければと、相手や周りへの配慮を薄れていってしまうのです。会社であれば、品質の低下、環境への配慮もおろそかになり、組織の維持が目的にすり替わってしまうのです。
教会の目的はキリストを証することです。具体的な内容としては、聖書の言葉を分かち合い、神と人とに仕え、神が招く交わりへ加わえられることです。今日の箇所は、キリスト会社の従業員心得かもしれません。一つ目はキリストに仕えなさい。あなたの行動を受け取られる方はキリストです。従業員同士が裁き合うのではなく社長の判断を仰ぎなさい。二つ目は、神から与えられた全てを、管理者として忠実に用いなさい。もしも自分の力で獲得したと思いあがっているならば、的が外れています。神様から預けられたものを、神様の目的のために、豊かに用いていくことができますように。
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コリントの信徒への手紙一 3章1-17節
わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。
「役割が人を作る」という言葉を聞いたことはありますか。例えば、初めてクラスの委員長になったとします。最初は失敗だらけでも、経験を重ねて周りから支えてもらうことで委員長の役割が身についてくるのです。それはグループのリーダーも、会社の役職も同様でしょう。
実は牧師という働きは、ライセンスもなく、神学校を卒業したら勝手になれるものでもありません。(バプテスト連盟の場合)ある人が神様からの召命を信じて立ち上がること。教会がある人を通して神様からの語りかけを祈り求めること。
この出来事の間で、牧師が牧師となっていくのです。決心する人がいて、期待し支える人がいる時に、その働きを担えるのです。神様は人々を、キリスト者として期待して支えてくださいます。キリストの霊を注ぎ、み霊の実を豊かに結ぶように、成長させてくださる。キリストの霊が人の内に住み、神の神殿としてくださる。しかし、自分の好き勝手に種を撒いて今までと変わらない罪を実らせたり、神様の性質とは違う物を建てたりしていないでしょうか。神様は私たちの働きを吟味し、明らかにしてくださいます。
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コリントの信徒への手紙一 2章1-16節
わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。
キリスト教と十字架は切り離すことができません。多くの教会では十字架を見えるように取り付けられています。教会の歴史も重なり、一般的に十字架のマークを見れば、そこに教会があることを認識できるようになっています。
しかし紀元55年頃の中東において、十字架は残酷な処刑法でした。そのような中、パウロはイエス・キリストの十字架を語り伝えていったのです。しかも、キリストは十字架につけられてしまったままでおられるのだと語るのです。パウロは伝道活動の中で命の危機にも陥りました。弱り果て、恐れや不安に苛まれることもありました。そんな時、十字架を見上げたのでしょう。イエス・キリストは私たちの罪のために十字架につけられた。自分を脅かす存在のためにも、また弱り果てた自分のためにも、十字架があるのだと。普通ならば、神様は自分だけの味方でいてくれることを求め、自分の気に入らない存在は居なくなって欲しいと願うでしょう。しかし、パウロ自身がキリスト教徒を迫害し、神様の敵対者だった過去があるのです。「過去に自分を憐れまれた神は、今も隣人をも救うため、十字架で招き続けているのだ」と、パウロは神様を証しているのです。
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